御柱って、そもそも何者なのか
諏訪湖のほとりに来たなら、まず感じていただきたいことがあります。この湖は、日本列島の内側で断層がぶつかり合い、大地が引き裂かれてできた「地溝湖」です。足の下の大地はいまも動いている。そんな不安定な大地の上に、日本最古の神社のひとつ、諏訪大社は鎮座しています。
諏訪大社は上社・下社あわせて四つの宮からなり、祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と下社秋宮の八坂刀売神(やさかとめのかみ)。建御名方神は、国譲り神話で大国主命の子として登場し、武甕槌神(たけみかづちのかみ)に敗れながらも「この地から出ない」と誓って諏訪の地に留まった神です。負けても故郷に根を張った、その頑固さがなんとも諏訪らしい。
その諏訪大社で、七年に一度(数え年で六年ごと)行われるのが御柱祭、正式には「式年造営御柱大祭」です。樹齢150年を超えるモミの巨木を山から切り出し、何十キロもの道のりを人力だけで里まで曳き下ろし、社殿の四隅に建て立てる。その木こそが「御柱」です。
木が「転がる」のに人が乗る理由
ここで多くの方が首をかしげます。「なぜわざわざ危ない方法で?」と。
最大の見せ場は「木落し」と呼ばれる場面です。重さ10トンを超える巨木が急斜面を滑り落ちる瞬間、氏子の男たちはその木の上に乗ったまま坂を下ります。毎回、骨折や重傷者が出る。亡くなる方が出ることも、祭りの歴史の中には記録されてきました。
ここで驚いていただきたい事実があります。御柱は「神が宿る柱」そのものであり、氏子が命をかけて守る対象であると同時に、氏子自身が「神に奉仕する身体」として柱に一体化する場でもあります。木に乗ることは「怖いから乗る」のではなく、「神の柱に自らの体重を預け、共に里へ降りる」という意味を持つとされています。危険であることが、むしろ奉仕の証しなのです。
「七年」は、大地の記憶から来た
御柱が七年ごとに建て替えられる理由については、古くから諸説あります。ただ民俗学的に注目されてきたのは、諏訪という土地の地質的な性格との関係です。
諏訪湖周辺は、中央構造線と糸魚川静岡構造線という日本列島を縦断する二大断層が近接する場所に位置しています。大地の変動が激しく、木造の社殿も柱も、他の地より傷みが早い。社殿を一定の周期で作り直し、柱を新しく立て直すことには、神への奉仕であると同時に、現実的な「大地との対話」という側面があったと見ることもできます。
氏子たちは山から木を曳くとき、ただ「昔からそうだから」とは言いません。「諏訪の神様が、また新しい柱を求めている」と語ります。大地が動く土地に生きてきた人々が、その不安をどう受け止め、どう神と結びつけてきたか。御柱を曳く男たちの汗と叫びの中に、その答えがあります。
木落しの坂の下で、五平餅を食べてほしい
祭りが終わった後、諏訪の氏子たちが囲炉裏端で食べてきたのが五平餅です。粗く搗いたご飯を平たく成形し、味噌や醤油だれを塗って炭火で焼く。祭りの労をねぎらう、素朴だけれど体に染みる食べ物です。
御柱祭を見たなら、ぜひ木落し坂の近くの茶屋で五平餅を一本手に取ってください。焦げた味噌の香りの向こうに、「また七年後もここへ来い」という土地の声が聞こえてくるかもしれません。