「城」と呼ぶと、何かが抜け落ちる
那覇の街を少し上ると、波上宮(なみのうえぐう)が海に向かってせり出した崖の上に立っています。地元の人々から「なんみんさん」と呼ばれるこの宮は、那覇港を一望する高台にあり、足元の断崖から青い海が広がります。ここに立ってみると、ふと気づくことがあります。この「高台と海」という組み合わせ、どこかグスクと似ていないか、と。
沖縄のグスク(城)は、本土の城と見た目こそ似ていても、その出発点がまるで違います。天守閣を持ち、武将が兵を率いて籠る「軍事の拠点」として育った本土の城に対して、グスクは御嶽(うたき)という聖なる場所を内側に抱えて成り立っています。南城市の斎場御嶽(せーふぁうたき)を思い出してください。あそこには建物がありません。岩と岩のあいだに生まれた自然の空間そのものが信仰の場です。グスクの原形も、まさにそこにあります。
権力者が「聖地」を囲んだ、その順番
沖縄の信仰の基層は、建物を建てて神を祀るのではなく、聖なる場所そのものに神が宿るというアニミズムの世界観です。岩場や森、泉が御嶽となり、人々はそこへ祈りに行く。グスクの石積みは、その聖地をぐるりと囲むように積まれていきました。つまり「まず聖地があり、あとから石垣がやってきた」のです。
本土の城が「どこを守るか」から設計されたとすれば、グスクは「どこが聖いか」から生まれました。この出発点のちがいが、グスクを単なる軍事施設ではなく、祭祀と政治と防衛が渾然一体となった場所にしています。支配者は聖地を囲うことで、神の力と世俗の力を同時に手に入れたのです。
石垣の材料が「珊瑚の海」だった
ここで一つ、驚いていただきたい事実があります。グスクの石垣を積んでいる琉球石灰岩、あれはもとをたどれば珊瑚礁です。はるか昔に海の底でサンゴが積み重なり、地殻変動で地上に押し出されて岩になったもの。つまり沖縄の城壁は、海が固まってできています。本土の城が山の花崗岩や安山岩を切り出して積むのに対して、グスクはかつて海だった石を積んでいます。城壁の内側に御嶽を持ち、城壁の材料が珊瑚の化石である。グスクとは、どこまでも海から来た建物なのです。
「混淆」は弱さではなく、沖縄の戦略だった
琉球王国は日本と中国という二つの巨大な文明圏のあいだに立ち、どちらにも開きながら独自の文化を築きました。組踊(くみおどり)という舞台芸術がその象徴です。三線の音と琉球古典語による語りを軸にしながら、能や歌舞伎、中国の演劇の要素が自然に溶け込んでいます。グスクもまた、日本本土の築城技術でも中国の宮殿建築でもない、独自の石積み工法を編み出しました。野面積みと布積みを使い分ける技は、外から学んだものを土地の石と信仰に合わせて鍛え直した知恵です。沖縄の「混淆」とは、ただ受け取ることではなく、受け取って作り替えることでした。
波上宮に戻りましょう。崖の端に立って、海風を顔に受けてみてください。足の下の岩はかつての珊瑚礁で、目の前の海はグスクの石垣を作った海とつながっています。ここから見える景色の中に、沖縄の城の答えがあります。次はその石灰岩の感触を、素手で触れてみてください。