都を追われた男が、筑紫の地へ
ここ太宰府天満宮に足を踏み入れたとき、境内に満ちる梅の香りが、ひとりの男の話をそっと運んできます。その男の名は菅原道真。平安の都で並ぶ者なき学者であり、宇多天皇に厚く信頼された政治家でした。
道真は幼いころから詩文の才を発揮し、異例の速さで出世を重ねました。しかし、その才が妬みを招きます。対立する藤原氏の働きかけにより、901年、道真は突然「大宰員外帥(だざいのいんがいのそち)」という名ばかりの役職を与えられ、都から遠い筑紫の地へと追いやられました。実質的な流罪です。都の人々への惜別の歌として残された「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は、梅を愛した道真が、愛する木に語りかけた言葉でした。
そして太宰府で、道真は903年に亡くなります。失意のうちに、遠い空の下で。
怨霊が、学問の神へ
道真の死後、都では奇妙なことが続きました。雷雨が朝廷を直撃し、道真を貶めた人物たちが次々と不審な死を遂げたのです。人々は恐れました。「道真の怨霊だ」と。
その怨霊を鎮めるために、道真の遺骸を運んだ牛車が止まった場所に廟が建てられました。それが太宰府天満宮の起こりです。牛が動かなくなった、その場所に。神社とは往々にして、そういう「動けない場所」に生まれるものなのです。
やがて、怨霊として畏れられていた道真は、その学才を称えられ、「天満大自在天神」として祀られるようになりました。恐ろしい神から、学問を守る神へ。この変転こそが、太宰府天満宮という場所の最も深い物語です。現在も年間約1,000万人の参拝者が訪れ、受験生たちが「どうか合格を」と手を合わせる。左遷された男が、千年後の若者たちを励ます神になったのです。
じつは「飛んできた」本殿がある
さて、ここで少し足を止めてください。境内の奥、「飛梅(とびうめ)」と呼ばれる梅の木をご存じですか。道真が都を去るとき、愛した梅の木が一夜にして主人を追って太宰府まで飛んできた、という伝承です。その梅は今も境内で最も早く花を開き、春の訪れを告げます。
驚くべきことは、この梅の伝承が生んだ数字です。全国の天満宮・天神社の数は、約1万2,000社。日本全国に存在する神社のうち、稲荷神社に次いで多いとされます。一人の左遷された官僚への記憶が、千年以上かけて日本列島に1万2,000もの祈りの場所を生んだ。梅の花びら一枚一枚が、その数だけ飛んでいったかのようです。
「祟りを鎮める」場所が、今日も走る
太宰府天満宮の本殿前に立てば、参道の向こうに境内を行き来する参拝者の流れが見えます。梅ヶ枝餅を焼く香ばしい匂いが漂い、受験の願いを書いた絵馬が風に揺れています。
この場所はもともと怨霊を「押さえ込む」ための祈りの場でした。それが今は、未来への希望を「押し上げる」ための祈りの場になっている。道真が903年に息を引き取ったこの地の土の上に立って、そのことを思うと、背中がすっと伸びるような気持ちになります。
飛梅の根元に近づいて、幹に触れてみてください。千年以上の風雨と、無数の人の祈りを、この木は受け止めてきました。