祭神は「竜宮から帰ってきた神」
大津の中心部、街のにぎわいの中にひっそりと構える天孫神社。「天孫」という名を聞いて、どんな神様を思い浮かべますか?ここに祀られているのは、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)です。古事記・日本書紀にも登場するこの神様、実はあの「山幸彦」その人なのです。
兄の海幸彦から釣り針を借り、それをなくしてしまった山幸彦は、途方に暮れて海の底の竜宮へと降りていきます。そこで海神の娘・豊玉姫と出会い、めでたく結ばれて地上へ戻ってくる——その竜宮帰りの神が、琵琶湖という「内なる海」を抱く大津の地に鎮座しているというのは、なんとも絵になる取り合わせではないでしょうか。湖面を渡る風を受けながら、「この神様は水の深みを知っている」と思わずにはいられません。
「天孫」の名が背負うもの
社名の「天孫」とは、天照大神の孫の系譜、すなわち天から降りた神の血脈を指します。彦火火出見尊はニニギノミコトの御子であり、まさしくその天孫の流れを受けた神です。大津という地は、古代に景行・成務・仲哀の三天皇が志賀高穴穂宮に都を置いたと伝えられる、王権と深く結びついた土地でもあります。「近江」という地名そのものが「近つ淡海」、つまり都から近い湖という意味を持ち、古代の人々がこの大きな水を宇宙の中心のように感じていたことが伝わってきます。
そんな神話と王権が重なり合う土地に、竜宮から帰還した神が祀られている。それは偶然ではなく、水と神話と人の暮らしが三つ巴になって織りなす、近江という土地の必然のように思えてきます。
810社が語る、信仰の地層
滋賀県内には、現在でも約810社の神社があります。これは「多い」などという言葉では追いつかない密度です。それだけ多くの鎮守の森が、人々の暮らしのそばに息づいてきた。天孫神社もその一社ですが、大津という城下町・宿場町の中心に位置し、地域の人々にとって単なる「古い神社」ではなく、日々の暮らしに根ざした存在であり続けてきました。
そして驚くべきことは、この神社のすぐそばで、三井高利(みついたかとし)という人物の足跡が交差していることです。江戸時代に三井財閥の礎を築いたこの商人は、大津・近江とゆかりが深く、後に三井の奉公人たちの墓石が大津市内の寺に刻まれていることが知られています。神話の神様と近世の大商人が、同じ湖畔の街で時代を超えて重なる——近江とはそういう土地です。
「日本の楽屋裏」で神は何を見ていたか
随筆家の白洲正子はこの近江を「日本の楽屋裏」と評しました。東海道・中山道・北陸道が交わり、琵琶湖の水運が若狭湾と上方を結ぶ。すべての道と水が行き交うこの土地で、天孫神社の祭神・彦火火出見尊は何百年もの間、街ゆく人々と物資と文化の流れを見守り続けてきたことになります。
大津祭の曳山(ひきやま)にはからくりが載せられ、ユネスコにも登録される祭礼として今も巡行します。その曳山が神社の前を通るとき、竜宮帰りの神様はどんな顔をしているでしょう。参道に立って、琵琶湖の方角へ目を向けてみてください。あの湖の深みに、竜宮への入り口があるかもしれません。