都が頼った、湖の国
滋賀県へようこそ。この土地を踏んだとき、まず知っておいてほしいことがあります。随筆家の白洲正子はこの地を「日本の楽屋裏」と呼びました。表舞台の京や奈良を陰で支え、物資も人も情報も、すべてがここを通り抜けていった——そういう場所なのです。歴史家の今谷明は「近江の歴史を書くことは、日本通史を著すのと同じこと」とまで語っています。大げさに聞こえますか?でも歩けば歩くほど、その言葉の重みが足の裏から伝わってくるはずです。
「近江」という名前そのものに、秘密が宿っています。都・京から見て近い淡海(あわうみ)、つまり琵琶湖のこと。都から遠い淡海は遠江(とおとうみ)、今の静岡県浜名湖です。古代の人々は水の距離で地名をつけた。それほど琵琶湖という存在が、日本列島の地理感覚の中心にあったのです。
810社の神々が守る、この水辺
滋賀県には約810社の神社が鎮まっています。その密度の濃さは、湖という異界に近い土地が生み出した信仰の積み重ねです。大津市に鎮座する天孫神社は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を祭神とします。海の神の娘トヨタマヒメと結ばれた、あの山幸彦の物語の主人公です。そして関蝉丸神社下社には、そのトヨタマヒメ自身が祀られています——創建は平安初期、822年のこと。海の神話がなぜ、湖の国・近江に根付いているのか。琵琶湖の広大な水面が、海と同じ「異界の水」として古代人に映っていたからかもしれません。
白鳥社には素戔嗚尊(すさのをのみこと)が、若宮八幡宮には八幡神が、大津大神宮にはトヨウケビメと天照大神が祀られています。これだけ多様な神格が一つの県に集まるのは、近江が複数の文化圏の境目に位置するからです。東海道・東山道・北陸道という三つの主要街道が合流する地点で、各地の信仰が流れ込み、混ざり、根付いた。この土地の神社をめぐることは、日本の信仰の交差点を歩くことなのです。
平安の坊主が「鼠」になった夜
ここで一つ、胸に刺さる話をさせてください。比叡山には「鉄鼠(てっそ)」という妖怪が生まれた伝承があります。比叡山の僧侶・仲算(ちゅうさん)が怨みを抱いたまま死に、鉄鼠となって敵対する園城寺の一切経を食い荒らした——という平安時代の説話です。深い恨みが鼠の大群という姿をとる。信仰が熱ければ熱いほど、怨念も深くなる。比叡山という霊山の麓に立つと、この話が怖い作り話ではなく、人間の感情の真実として腑に落ちてくるから不思議です。
驚きは「音」の中にある
さて、ここで予想を覆すことを一つ。神社や古刹が集まる滋賀といえば「視覚の聖地」と思われがちですが、実は音こそがこの土地の核心にあります。三井の晩鐘——三井寺(園城寺)に響くあの鐘の音は、日本三銘鐘の一つとして古来より文人たちを震わせてきました。逢坂(おうさか)という地名もまた、都と東国の人々が「逢う」坂として、別れと再会の感情を刻んできた場所です。この土地は、見るだけでなく、聞き、感じる場所なのです。
郷土の食も、そんな重層性を帯びています。近江牛は地理的表示(GI)登録第56号、伊吹そばは第85号、近江日野産日野菜は第122号と、国に認められた特産が並びます。そして鮒寿司——千年以上の歴史を持つ発酵食品で、琵琶湖の恵みがそのまま「時間」に漬け込まれたような深い味わいです。近江の食は、土地の記憶が凝縮した形そのものなのです。