盆地がなければ、都はなかった
ようこそ、京都へ。まず足元を見てください。あなたが今立っているこの平らな地面、これは偶然ではありません。京都盆地は、東の比叡山・東山、西の西山、北の北山、南へ開いた出口という、すり鉢のような地形です。三方を山に囲まれたこの盆地があったからこそ、桓武天皇は「ここに都を」と決めたのです。794年に平安京が開かれて以来、明治維新まで約千年、日本の首都であり続けた——その根っこは、この地形にあります。
しかも都市の設計自体が、陰陽道と風水の思想を地面に書き込んだ装置でした。北を守る賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)、南西の裏鬼門に当たる男山の山頂に鎮座する石清水八幡宮——神社の位置が方位と宇宙論で決められていたのです。信仰と地形が一体となった都市、それが京都です。
酒で退治された鬼の山が、今も見える
北西の方角に目をやると、大江山の稜線が見えます。平安中期、あの山に「酒呑童子」という鬼が城を構え、京の都を恐怖に陥れたと伝わります。源頼光の一行は神酒を持参し、酒宴で鬼を油断させて首を討ち取ったとされる——御伽草子に残るこの話は、おそらく山岳地帯の異民族や盗賊団への恐怖が「鬼」という姿に結晶したものでしょう。都人にとって、山の向こうは文字どおり「鬼が棲む」異界だったのです。
比叡山には「鉄鼠」の伝説もあります。怨みを抱いた僧侶・仲算が鉄鼠となり、園城寺の一切経を鼠の大群に食い荒らさせた——という平安時代の説話です。権力と怨念が渦巻く都の隣で、山は怪異を生み続けました。
一度消えた神社が、なぜここにある
東山区に豊国神社があります。祭神は豊臣秀吉。「千成瓢箪」にちなんだ瓢箪形の絵馬が名物で、秀吉が亡くなった翌年の1599年に創建されました。ところがその後、徳川家康の命によって廃絶させられてしまいます。天下を取った男を祀る神社が、次の権力者によって消された——政治と信仰が正面からぶつかった場所です。それが明治になって復興されたという経緯を知ると、この境内に立つ感慨が変わってきませんか。
また西京区の壬生寺では「壬生狂言」が演じられます。無言の仮面劇で、言葉を使わずに仏の教えを民衆に伝えた——文字が読めない人々への知恵の届け方が、この土地には豊かに残っています。
国宝の数より、その理由が面白い
ここで少し驚いていただきたいことがあります。京都府の国宝建造物の棟数は、全国で第一位です。しかし注目すべきは「数」より「理由」です。石清水八幡宮・宇治上神社・賀茂御祖神社・清水寺・高山寺・広隆寺……これらを貫く共通の文脈は、「王城の四方を守護する信仰空間の配置」という一つの設計思想です。つまり府内に散らばる国宝群は、バラバラな観光地ではなく、一枚の宇宙地図の上に打たれた点なのです。
地図を広げてみれば、京都府は山城・丹波・丹後の三つの令制国にまたがります。丹後の海あり、丹波の山あり、山城の盆地あり——この多様な地形の上に、千年の都が重なっています。次の角を曲がるたびに、別の時代の息づかいが聞こえてくる。それがこの土地の歩き方です。