「山幸彦」が、なぜ湖畔の町に?
大津の街なかに、天孫神社(てんそんじんじゃ)という神社があります。祭神は**彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)**——神話で「山幸彦」として知られる神さまです。海の底の宮殿へ潜り、兄の釣り針を探し、龍神の娘・豊玉姫と結ばれた、あの山幸彦です。
ここで思わず首をかしげませんか。山幸彦といえば海の物語。なのに、この神社が鎮座するのは、海ではなく琵琶湖のほとり、内陸の街・大津なのです。
でも少し立ち止まって考えてみてください。古代の人びとが「近江」と呼んだこの土地の名は、「近つ淡海(ちかつあわうみ)」——都に近い、淡い海、という意味です。琵琶湖はかつて、海と同じ広がりを持つ「水の宇宙」として感じられていました。竹生島・沖島・多景島といった島々がそれぞれに信仰を抱き、湖の向こうは異界とつながる場所だった。そう思えば、海を渡る神・山幸彦が琵琶湖のほとりに祀られることは、古代人の感覚としてごく自然なことだったのかもしれません。
彦火火出見尊とは、どんな神か
彦火火出見尊は、『古事記』『日本書紀』に登場する神代の物語の主役です。天照大神の系譜を引く「天孫」の血を持ち、やがてその子孫が初代天皇・神武天皇へとつながる——つまり、皇室の直接の祖先神にあたります。「天孫神社」という社名は、まさにその「天孫」から来ています。天から降り立った神の血筋を、この地の人びとが誇りを持って名に冠した、ということです。
この神が大津に祀られた背景には、近江という土地の歴史的な重さがあります。景行・成務・仲哀の三天皇が志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)に都を置いたとされる地であり、古代から王権とゆかりの深い土地でした。歴史学者の今谷明が「近江の歴史を書くことは、日本通史を著すのと同じこと」と語り、随筆家の白洲正子が「日本の楽屋裏」と評したこの滋賀の地に、皇祖神の系譜を持つ神が鎮座しているのは、むしろ必然とも言えます。
「近江」という名が語る、水の記憶
滋賀県内にはおよそ810社もの神社があります。その数だけ、この土地に信仰の層が積み重なってきたということです。天孫神社の周辺を歩くと、大津祭の曳山(ひきやま)行事の舞台にもなる旧市街の風景が広がっています。豪華なからくりを載せた曳山が町を巡るこの祭りは、ユネスコの無形文化遺産にも登録されており、神社と祭りと町が一体となって息づいています。
鮒寿司(ふなずし)の発酵した香り、赤こんにゃくの鮮やかな色——この土地の食ひとつひとつも、琵琶湖という「水の宇宙」と切り離せません。天孫神社の祭神・山幸彦が海の宮殿で過ごしたように、この地の人びともずっと、水とともに暮らしてきたのです。
滋賀に810社、その密度の謎
ここで、ひとつだけ大きな驚きをお伝えしましょう。滋賀県の面積は全国で42番目、決して広い県ではありません。それでも神社の数はおよそ810社。これは、日本でも突出した「神社密度」です。単純計算すれば、県内をおよそ8平方キロメートル歩くごとに一社、神社に行き当たる計算になります。山岳・湖・川・湿地が複雑に絡み合う地形のなかで、古代の人びとが水や山のあらゆる場所に神の気配を感じ、それを社として形にしてきた——天孫神社も、その分厚い信仰の堆積のひとつなのです。