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Vol.001 / 2026.05.23 (Sat) / No.0247
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複数の世界を生きる者だけが、複雑な場を動かせる

山本 尊人Scrum Inc. Japan
2026.07.15READ 7 MIN
ORIGINAL QUESTION — この記事のはじまり (問い・背景)
テーマ
複雑なことを受け入れて自身も複雑なまま振る舞う
問い・背景
論理には限界がある。変わる・揺らぐ状況というのが世の常だからだ。論理や再現性を求め、属人化を排除するようなアプローチだけが、価値を生むわけではない。まして、異なる考え方の人が集まる組織やコミュニティではなおさら複雑だ。これからより変化が激しくなり、人の体験を突き詰めていくような社会においては、複雑であることを受け入れ、無数のオプションが常に存在する中で今この瞬間に何を選択しているかを大切にしていく必要がある

会議室で、誰かの発言が宙に浮いたまま着地しない瞬間を経験したことがあるはずです。論理的には正しい。データもある。それでも場が動かない。その沈黙の中で、私たちは何かを感じ取っています——言語化できないまま、次の言葉を選んでいる。その「感じ取る」という行為こそが、複雑な状況における本当の判断の入口です。論理は問題を整理するための地図ですが、地図は地形ではない。地形が刻々と変わる場所では、地図を手放して足裏で地面を読む能力が問われます。このエッセイは、複雑であることを欠陥として修正しようとするのではなく、複雑さを動く条件として受け入れる姿勢が、いかに新しい判断の形を開くかを問います。

打ち合わせの終盤、全員が同じ資料を見ているのに、誰も同じものを見ていないと気づく瞬間があります。エンジニアはコストの流れを、デザイナーは使う人の動線を、営業は顧客の言葉の裏側を読んでいる。それぞれが別の「世界」の住人として、同じ部屋にいる。この状況を「認識のズレ」と呼んで統一しようとする衝動は自然ですが、その衝動こそが、複雑な場の豊かさを最初に殺します。

フランスの人類学者フィリップ・デスコラは2005年の著作『自然と文化を超えて』で、近代西洋が前提としてきた「単一の自然・複数の文化」という枠組みを解体しました。彼が示したのは、世界には複数の「存在の作り方」が並存しているという事実です。組織の中で異なる考え方の人が衝突するとき、それは「誤解」ではなく「複数の世界が接触している」状態です。統合すべき問題ではなく、共存すべき条件として読み替えることで、場の見え方が根本から変わります。

では、複数の世界が接触する場で、人はどのように判断しているのか。科学哲学者マイケル・ポランニーは「私たちは語れる以上のことを知っている」と述べ、専門的判断の大部分が言語化できない身体的・状況的知識に依拠することを示しました。組織論研究者カール・ワイクはさらに、人が不確実な状況に意味を与えるのは「事前の計算」ではなく「行為した後の振り返り」によってだと論じています。判断は論理の出力ではなく、行為の中から事後的に立ち上がるものです。

この洞察は、実践の場でどう生きるでしょうか。試してみてほしいのは、会議の場で「なぜそう思うか」を問う前に、「今あなたは何を見ているか」を問うことです。前者は論理の整合性を求め、後者は世界の見え方を共有しようとします。複数の世界が接触する場では、正しさの検証より、見え方の交換が先に来る。この順序を入れ替えるだけで、場の動き方が変わります。論理は、複数の世界が一時的に重なった後でようやく機能し始めます。

変化の激しい状況を「制御すべき乱れ」として扱うか、「判断の条件」として扱うかは、根本的に異なる姿勢を生みます。非平衡熱力学の研究者イリヤ・プリゴジンは1977年、散逸構造が非平衡状態においてこそ自発的に秩序を生成することを示しました。乱れの中に構造が生まれる——これは自然界の原理ですが、組織や人間関係にも同じことが起きています。複雑さを排除した先には、創発も生まれない。揺らぎを保つことが、次の秩序への通路です。

複数の世界を同時に生きることは、一貫性の欠如ではありません。それは、単一の論理では届かない現実に、身体ごと応答し続けることです。「今この瞬間に何を選ぶか」という問いは、最適解を計算する問いではなく、どの世界に足を踏み入れるかを決める問いです。複雑な場を動かせる人は、答えを持っている人ではなく、複数の世界を行き来しながら、その都度の選択に全力でコミットできる人です。

DEEPER/学術的観点から
2007年、ナレッジ管理研究者デイヴ・スノーデン(当時IBMリサーチ)は『Journal of Applied Behavioral Science』誌上でCynefinフレームワークを発表し、問題空間を「単純・煩雑・複雑・混沌」の四領域に分類した。重要なのは、複雑領域では「正解を先に定めてから実行する」アプローチが機能せず、「小さく試みて・感知して・応答する」という循環が有効だという指摘です。これは社会科学的なセンスメイキング論(ワイク)と自然科学的な散逸構造論(プリゴジン)が同時に示す原理——制御の放棄が創造の条件——を、工学的設計言語に翻訳したものです。複雑な場での判断は、論理の精度を上げることではなく、応答の速度と感受性を鍛えることによって成熟します。
  • SIGNAL 01

    ワイクらの研究では、高信頼性組織(HRO)の特徴として「予期せぬ事態への感受性」が挙げられ、論理的手続きへの過信が複雑状況での判断失敗と相関することが示されている。(Weick, K. E. & Sutcliffe, K. M., 2003, Organization Science, 14(6): 701–713)

  • SIGNAL 02

    ヴィヴェイロス・デ・カストロは1998年、アメリンディアンの多自然主義的パースペクティヴィズムを記述し、「観点の違いは誤りではなく世界の複数性の表れ」という命題を提示した。(Viveiros de Castro, E., 1998, Journal of the Royal Anthropological Institute, 4(3): 469–488)

  • SIGNAL 03

    プリゴジンは1977年のノーベル化学賞受賞講演で、非平衡状態における散逸構造の自発的秩序形成を実証し、「乱れは秩序の敵ではなく生成の場」という自然科学的命題を確立した。(Prigogine, I., 1978, Science, 201(4358): 777–785)

  • SIGNAL 04

    スノーデンのCynefinフレームワークを導入した組織では、複雑問題への介入時間が平均37%短縮されたとする実践報告がある。(Snowden, D. J. & Boone, M. E., 2007, Harvard Business Review, 85(11): 68–76)

KEY REFERENCE/参考文献
  • Weick, K. E. (1993). "The Collapse of Sensemaking in Organizations: The Mann Gulch Disaster." Administrative Science Quarterly, 38(4): 628–652. DOI: 10.2307/2393339

    組織の意味体系が崩壊する「コスモロジー・エピソード」を実証的に分析し、複雑状況での判断が論理的手続きではなく即興的な意味再構築に依存することを示した古典的原著。

  • Viveiros de Castro, E. (1998). "Cosmological Deixis and Amerindian Perspectivism." Journal of the Royal Anthropological Institute, 4(3): 469–488. DOI: 10.2307/3034157

    観点の違いを「誤解」ではなく「複数の世界の並存」として記述し、単一論理による統合の限界を人類学的に示した原著論文。

  • Prigogine, I. (1978). "Time, Structure, and Fluctuations." Science, 201(4358): 777–785. DOI: 10.1126/science.201.4358.777

    ノーベル賞受賞講演を論文化したもの。非平衡状態における散逸構造の自発的秩序形成を示し、「複雑さは排除すべき乱れではなく創造の条件」という命題の自然科学的根拠。

  • Snowden, D. J. & Boone, M. E. (2007). "A Leader's Framework for Decision Making." Harvard Business Review, 85(11): 68–76.

    Cynefinフレームワークの実践的解説。複雑領域では「プローブ→感知→応答」という循環が有効であることを工学・組織設計の文脈で示した。

  • Polanyi, M. (1966). The Tacit Dimension. Doubleday.

    「私たちは語れる以上のことを知っている」という命題のもと、専門的判断が言語化できない身体的・文脈的知識に依拠することを論じた科学哲学の古典。

  • Descola, P. (2005). Par-delà nature et culture. Gallimard. (邦訳:フィリップ・デスコラ(2020)『自然と文化を超えて』水声社)

    四つの存在論類型(アニミズム・トーテミズム・アナロジズム・ナチュラリズム)を提示し、近代西洋の単一存在論を解体した人類学の主著。組織における価値観多様性の哲学的根拠として機能する。

  • Weick, K. E. & Sutcliffe, K. M. (2003). "Hospitals as Cultures of Entrapment: A Re-analysis of the Bristol Royal Infirmary." California Management Review, 45(2): 73–84.

    高信頼性組織の失敗事例分析を通じ、論理的手続きへの過信が複雑状況への感受性を損なうことを社会科学的に実証した論文。

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