案内スタッフが苦笑いしながら言った。「駐車台数が、本日の出勤者数です」。ガラスのドームでつながった建物群は陽光を受けてまだ美しく、しかし構内のゴミ箱はサルに荒らされた痕跡を残していた。中央省庁出身の首長が大型予算を引っ張り、補助金が切れると進出企業も静かに撤退した。残ったのは、誰も住んでいない「未来の拠点」だった。人口減少が続く日本で、街の正しい引き際はどのように決まるのか。あるいは、そもそも誰かが決めているのか。その問いは、ガラスの向こうで枝を揺らすサルの姿よりも、ずっと不穏に響いた。
あのサイエンスパークを訪れたのは、秋の晴れた午後だった。ドームをつなぐ渡り廊下は設計者の誇りを感じさせる造形で、エントランスのガラスには青空が映り込んでいた。だが構内に人影はほとんどなく、スタッフは「イノシシが車のボンネットを踏み台にするので、駐車場のカメラを増やしました」と淡々と続けた。補助金が切れ、お付き合いで進出していた企業が一社また一社と撤退したあと、その建物は今も美しいまま、しかし空洞のまま立っている。「美しい廃墟」は、設計されなかった未来の正直な肖像だと、あとになって気づいた。
縮退する街が制度に裏切られる構造は、日本に固有ではない。2006年にPhilipp Oswaltが編んだ国際研究『Shrinking Cities』は、デトロイト・ライプツィヒ・イワノヴォという三都市の縮退過程を比較し、「拡張を前提として設計された制度は、縮退局面で一様に無力化する」という共通パターンを記録した。日本でも2014年に都市再生特別措置法が改正され、立地適正化計画によるコンパクトシティ誘導が始まった。しかしこの制度は居住誘導区域への集約を促すのみで、既存インフラの廃止順序・費用負担・住民合意の手続きを定める「街仕舞い法制」には、いまだ実体がない。撤退の設計図は、誰も描いていない。
それでも人は、サービスが消えても移住を拒む。フランスの人類学者マルク・オジェは1992年の著作『非-場所』で、高速道路・空港・ショッピングモールを「歴史も関係性も記憶も持たない空間」と定義した。あのサイエンスパークはまさに非-場所として設計された——地域の文脈から切り離され、補助金という外部エネルギーだけで維持された空間だった。対して、住民が留まる集落には先祖の墓・祭祀・方言・景観記憶という「場所の密度」がある。地理学者エドワード・レルフが1976年に『場所と場所喪失』で描いたように、場所を失うことは自己の一部を失うことと等価であり、移住の勧奨が「存在の否定」として受け取られるのは、感傷ではなく存在論的な事実だ。
自分の住む自治体のインフラ維持費を、一度調べてみてほしい。多くの自治体が公開している「公共施設等総合管理計画」には、橋梁・上下水道・学校の更新費用の将来推計が記載されている。驚くのは、利用者数が半減しても維持費がほとんど下がらないという事実だ。上下水道のような装置型インフラは固定費の比率が極めて高く、利用者が50%減っても運営コストは平均で20%程度しか削減されない。一人当たり負担は急騰し、財政を圧迫する。この「インフラの逓増費用」構造を知ることは、縮退を他人事から自分事に引き寄せる認識的転換の第一歩であり、街仕舞いの当事者になることを意味する。
街仕舞いを「失敗」ではなく「完結」として意味づけるフレームが、生態学の側から届いている。オランダの生態学者フランス・フェラは2000年の著作『放牧の生態学と森林史』で、オーストワールデルスプラッセンにおける大型草食獣の自然回帰実験を記録した。人間の管理を退いた土地は、管理された自然保護区より高い生物多様性を示した。クマやサルやイノシシが市街地に現れるのは「侵入」ではなく、エコトーン——異なる生態系が接する境界帯——の移動であり、人間の撤退に生態系が応答している現象だ。街仕舞いを「生態系への返還」として積極的に意味づけるとき、縮退は損失の物語から回帰の物語へと反転する。
縮退を計画することは、次世代への最後の贈り物になりうる。誰が、いつ、どのように引き際を決めるかを問わないまま補助金を投じ続けることには、静かな暴力がある。美しいガラスのドームが映しているのは失敗ではなく、設計されなかった未来の姿だ。退くことを恥じない制度と美学を同時に持つ社会だけが、場所の記憶を次の生態系へ手渡せる。街仕舞いの作法を問うことは、何を残し、何を返すかを問うことだ。