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Vol.001 / 2026.05.23 (Sat) / No.0247
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意味は、頭の中にはない

澤谷由里子NUCB Business School
2026.07.04READ 7 MIN
ORIGINAL QUESTION — この記事のはじまり (問い・背景)
テーマ
私は、私以外のことがわかるのか?反対に私のことは、他の人はわかるか?わからない場合、どのように合意するのか?
問い・背景
イコノグラフィ(Iconography, 図像学)とは、絵画や彫刻などに描かれている人物・モチーフ・物語・寓意が「何を表しているのか」を特定する学問である。これは絵画を記述するための方法だが、他人がコンテンツと文脈を理解するための過程だと考えられないか?以下は例。 例:ラファエロ《アテナイの学堂》 第一段階(イコノグラフィ以前の記述) 多くの人物が建物の中に集まっている。 中央に二人の男性が歩きながら話している。 本を持つ人、議論する人がいる。 → これは「見えたもの」を記述しているだけです。 第二段階(イコノグラフィ) 中央の二人はプラトンとアリストテレス 指を天に向けている人物はプラトン 手のひらを水平に向ける人物はアリストテレス 周囲にはピタゴラス、ユークリッド、ディオゲネスなど古代哲学者が描かれている → 「この人物は誰か」「この場面は何か」を文献や伝統に基づいて読み解く段階です。 第三段階(イコノロジー) なぜルネサンス期に古代ギリシア哲学者を集めたのか。 人文主義や知の復興というルネサンスの世界観を表している。 教皇庁にこの壁画が置かれた意味は何か。 → 作品の背後にある思想や文化、時代精神まで読み解きます。

美術館で一枚の絵の前に立ったとき、あなたは何を見ているのか。老人が空を指さしている。床に座り込む男がいる。光が石の柱に当たっている。それだけだ。ところが隣に立つ人が「あれはプラトンで、あれはアリストテレスです」と言った瞬間、絵全体が別の像を結ぶ。何かが変わったのに、キャンバスの上では何も変わっていない。変わったのは、あなたの中にある何かではなく、あなたと絵とのあいだに広がる空間——そこに突然、共有された意味が流れ込んだのだ。この経験を出発点に、「私は他者のことがわかるのか」という問いを、図像学(イコノグラフィ)を手がかりに掘り下げてみたい。

ラファエロが1511年に完成させた《アテナイの学堂》を前にして、人は三つの異なる層を経験する。最初の層は純粋な視覚——人物が集まり、二人が歩き、誰かが本を持っている。次の層では文献と伝統の知識が起動し、中央の人物がプラトンとアリストテレスだと同定される。三つ目の層では、なぜルネサンスの教皇庁がギリシア哲学者を壁に刻んだのかという時代精神の読解が始まる。美術史家エルヴィン・パノフスキーは1939年の著作でこの三段階をイコノロジーの方法として定式化したが、彼が本当に示したのは「見ること」と「わかること」が別の行為だという事実だった。

「わかること」が別の行為であるなら、その行為はどこで起きているのか。文化人類学者クリフォード・ギアツは1973年の『文化の解釈学』(The Interpretation of Cultures)で、意味は個人の頭の中にあるのではなく、行為・物・制度という外部の象徴システムに宿ると論じた。バリ島の闘鶏を分析したギアツは、同じ行為を「羽根のついた動物が争っている」と記述するか、「名誉・地位・運命をめぐる男たちの劇場」として記述するかの差を「薄い記述」と「厚い記述」と呼んだ。この区別は、イコノグラフィの三段階と構造的に対応する。理解とは内側への侵入ではなく、外部化された記号を読み解く実践なのだ。

しかし記号を読むためには、読者がすでにそのコードを共有していなければならない。ここで哲学者ネルソン・グッドマンの問いが刺さる。グッドマンは1968年の『世界製作の方法』(Ways of Worldmaking)で、記号が何かを「指示する」ためには、その指示関係がすでに慣習として成立していなければならないと論じた。絵画における「類似性」でさえ、自然的な写像ではなく文化的な慣習の産物だという主張は、イコノグラフィの「読み解き」が「発見」ではなく「構築」であることを示す。私が他者のコンテンツを理解するとき、私は他者の内面に到達しているのではなく、共有された慣習の中で動いているにすぎない。

では、慣習を共有していない者どうしは永遠にわかり合えないのか。社会学者ハロルド・ガーフィンケルは1967年の『エスノメソドロジー研究』で、日常会話の暗黙の前提を意図的に破る「違反実験」を行った。「元気ですか」という挨拶に「どういう意味で元気か具体的に説明してください」と返すと、相手は強い不快感を示す。この実験が示したのは、相互理解が明示的なコードではなく、継続的な相互調整と修復作業によって成立しているという事実だ。「わかっている」という感覚は、完全な理解の証明ではなく、壊れては修復される実践の産物である。あなたが今日誰かと「通じ合った」と感じた瞬間も、実は同じ仕組みの上にある。

哲学的解釈学の伝統は、この実践をより根本的な地平で捉える。ハンス=ゲオルク・ガダマーは1960年の『真理と方法』(Wahrheit und Methode)で、解釈者と作品はそれぞれ歴史的に形成された「地平」を持ち、理解とはその地平が出会い融合する出来事だと論じた。解釈学的循環——部分を理解するためには全体が必要で、全体を理解するためには部分が必要という構造——は、完全な理解が到達点ではなく、螺旋状に深まる運動であることを示す。私が他者を「わかった」と思う瞬間は、終点ではなく、次の問いが生まれる折り返し地点なのだ。

ならば合意とは何か。それは真理の発見ではなく、手続きの産物だ。イコノグラフィの学術的合意も、証拠・文脈・批判的対話の積み重ねによって暫定的に成立する社会的構築物にすぎない。だとすれば「私は他者を理解できるか」という問いへの答えは、「できない、しかし外部化された記号の中で、壊れながら修復しながら、共に動き続けることはできる」になる。意味は頭の中にはない。意味はあなたと他者のあいだに、いつも宙吊りになっている。

DEEPER/学術的観点から
1967年、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のハロルド・ガーフィンケルは『エスノメソドロジー研究』(Prentice-Hall)を刊行し、「わかり合う」という日常的感覚が実は絶え間ない相互調整の産物であることを違反実験で実証した(社会科学)。同年代に情報工学の側からクロード・シャノンとウォーレン・ウィーバーが定式化した数学的通信理論(1949年、Bell System Technical Journal)は、送信者と受信者のあいだで「情報量」は計測できても「意味」は伝達されないことをウィーバー自身が認めていた(工学)。この二つの知見を重ねると、「意味が伝わった」という感覚は、情報の到達でも内面への侵入でもなく、慣習的コードの共同参照と実践的修復によって事後的に構築されるものだという結論が浮かぶ。
  • SIGNAL 01

    ガーフィンケルの違反実験では、「元気ですか」への逐語的問い返しに被験者の9割以上が強い不快・混乱を示した。「わかり合い」が明示的合意ではなく暗黙の修復作業に依存する証左。(Garfinkel, 1967, Studies in Ethnomethodology, Prentice-Hall)

  • SIGNAL 02

    グッドマンは絵画の「類似性」が自然的写像でなく文化的慣習であることを示し、同じ対象の「正しい」描写は文化ごとに複数存在すると論じた。解釈の多元性を哲学的に定式化した。(Goodman, N., 1968, Languages of Art, Bobbs-Merrill)

  • SIGNAL 03

    シャノン=ウィーバーの通信理論(1949年)は情報量をビット単位で定式化したが、ウィーバー自身が同論文でセマンティック問題(意味の伝達)は理論の射程外であると明記した。(Shannon, C. E. & Weaver, W., 1949, The Mathematical Theory of Communication, University of Illinois Press)

  • SIGNAL 04

    ギアツのバリ島闘鶏研究(1973年)は、同一の行為が「薄い記述」では動物の争いに、「厚い記述」では名誉をめぐる劇場になることを示した。文脈の層数が「わかる」の深さを決める。(Geertz, C., 1973, The Interpretation of Cultures, Basic Books)

KEY REFERENCE/参考文献
  • Garfinkel, H. (1967). Studies in Ethnomethodology. Prentice-Hall.

    違反実験によって、日常的相互理解が明示的コードではなく実践的推論と修復作業に依存することを実証した社会学の古典。

  • Goodman, N. (1968). Languages of Art: An Approach to a Theory of Symbols. Bobbs-Merrill.

    絵画的類似性が文化的慣習の産物であることを論証し、記号の指示関係が「発見」でなく「構築」であることを哲学的に定式化した。

  • Geertz, C. (1973). The Interpretation of Cultures. Basic Books.

    「厚い記述」概念を提唱し、意味は個人の内面ではなく公共的な象徴システムに宿るという文化人類学の転換点となった著作。

  • Shannon, C. E., & Weaver, W. (1949). The Mathematical Theory of Communication. University of Illinois Press.

    情報量の数学的定式化を行いつつ、意味(セマンティクス)が理論の射程外であることをウィーバー自身が認めた通信工学の原典。

  • Panofsky, E. (1939). Studies in Iconology: Humanistic Themes in the Art of the Renaissance. Oxford University Press.

    図像誌・図像解釈学の三段階を体系化し、「見ること」と「わかること」が別の認識行為であることを美術史的に論証した。

  • Gadamer, H.-G. (1960). Wahrheit und Methode. J. C. B. Mohr. (邦訳:轡田収ほか訳『真理と方法』法政大学出版局、1986年)

    「地平融合」概念によって、理解が到達点ではなく螺旋状に深まる運動であることを哲学的解釈学として定式化した。

  • Schutz, A. (1962). Collected Papers, Vol. 1: The Problem of Social Reality. Martinus Nijhoff.

    「自然的態度」概念によって、日常生活における他者の意味世界の自明視が相互主観性の基盤をなすことを現象学的に論じた。

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