キャリアを乗り換えるたびに、連絡先を一件も引き継がない。家族には迷惑をかけるので翌日には最低限を登録し直すが、それ以外はゼロから始める。ポケットベルの時代から数えれば30年、何らかのモバイル端末を手のひらに乗せてきた。その間ずっと、どこかで「縛られている」という感覚があった。解約を想像するとき、頭に浮かぶのは節約でも反テクノロジーでもなく、もっと身体的な何かだ。手放すことで何かを取り戻せるかもしれないという、言語化しにくい予感。その予感の正体を、哲学・認知科学・時間社会学の知見を手がかりに辿ってみたい。
スマートフォンを解約する、あるいは連絡先をリセットするという行為は、なぜこれほど「暴挙」と感じられるのか。ポケベルが鳴れば公衆電話を探し、PHSで初めて外から自分の声を届けられた日の解放感、そしてスマートフォンが地図も財布も辞書も飲み込んでいった過程——その30年は、道具が身体の延長になっていく歴史だった。いまやスマートフォンを忘れて外出すると、幽霊になったような不安が走る。この感覚そのものが、すでに問いの核心を指している。
電話番号がアイデンティティの外部番地として機能し始めたのは、20世紀初頭の番号制移行からだ。それ以前、電話交換手は名前で接続先を呼んでいた。番号制は匿名性と効率をもたらしたが、同時に「番号=人格」という等式を社会に刷り込んだ。フランスの技術哲学者ベルナール・スティグレール(1952〜2020)は著書『技術と時間』(1994年)で「三次把持(tertiary retention)」という概念を提示した。記憶・知覚・習慣が技術的メディアに外部化されるプロセスである。スマートフォンはこの外部化の極致であり、連絡先リセットはその蓄積への小さな抵抗として読める。
アメリカの技術哲学者アルバート・ボルグマン(モンタナ大学、1984年)は「デバイスパラダイム(device paradigm)」を提唱した。現代技術は「商品(commodity)」を提供しながら、それを生み出す「機械(machinery)」を隠蔽する。スマートフォンはその極致であり、人間の身体的・実践的な関与(engagement)を奪う装置だ。認知科学者グロリア・マーク(カリフォルニア大学アーバイン校)の研究は、通知が作業への完全な注意回復に平均23分を要することを示した。さらに、通知がなくても「来るかもしれない」という期待だけで同等の注意分散が生じる。デバイスの物理的存在が認知負荷を生む。
まず試してほしいのは、解約ではなく「72時間の機内モード生活」だ。通知をゼロにするだけで、時間の手触りが変わる。社会学者ジュディ・ワイツマン(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)は、デジタル技術が時間を節約するという通念を覆した。常時接続は時間を生むのではなく、時間の使い方への期待値を引き上げることで「時間飢饉(time famine)」を深化させる。コンピュータ科学者マーク・ワイザー(ゼロックスPARC、1991年)が提唱した「カームテクノロジー(calm technology)」の発想——注意の「周辺(periphery)」に退く技術——を逆用して、スマートフォンを物理的に別室へ置く実験から始めてみてほしい。
AIエージェントが日常に浸透する時代、スマートフォンはAIへのアクセス端末として機能し始めている。解約は「インターフェース格差」を生む可能性がある。しかしAR眼鏡・ウェアラブル・環境埋め込み型AIへの移行期においては、スマートフォン依存を断つことが旧来のインターフェースへの呪縛から自由になる先行実験にもなりうる。「スマホなし」は退行ではなく、ポストスマホ時代の感覚器官を先取りする身振りだ。接続の形式が変わるとき、いち早くその変化に気づけるのは、既存の形式に依存しきっていない人間である可能性がある。
ボルグマンは「フォーカル・プラクティス(focal practice)」という概念を提示した。道具との真摯な関与を通じて自己と世界を結びつける実践——薪を割ること、料理を作ること、楽器を弾くこと——が、デバイスパラダイムに侵食された生活を回復する契機になると彼は論じた。スマートフォンを解約したとき、あなたが最初に困ることは、あなたが何に依存していたかを正確に教える。その困惑こそが、自分でどんな接続を選ぶかという問いの出発点だ。