会議室で、誰もが同じ資料を見ている。言葉は通じている。それでも話が噛み合わない、という経験をしたことがあるでしょうか。通訳がいれば解決する問題ではない、と直感する瞬間です。言語の壁ではなく、何か別のものが人々を隔てている。その「別のもの」の正体を、人類は神話の時代から問い続けてきました。AIが言語の壁を解体しつつある今、この問いはかつてなく切実な姿で立ち現れています。バベルの塔の呪いを解くとはどういうことか。そしてその先に、何が待っているのか。
国連本部のガラス張りの廊下を、同時通訳のヘッドセットをつけた外交官たちが歩く光景を想像してください。言葉は瞬時に変換される。しかし合意は生まれない。バベルの塔の物語が語るのは、言語の多様性そのものではなく、統一への野望が神によって罰せられたという構造です。クロード・レヴィ=ストロース(フランス社会人類学者、1908-2009)は1955年の論文「神話の構造的研究」で、バベル型神話がメソポタミア・アフリカ・アメリカ先住民の神話群に変形して反復されることを示しました。注目すべきは、分散を嘆く版だけでなく、分散を通じた人類の多様化を肯定する変形版も存在するという事実です。
この神話的構造をアルジルダス・グレマス(リトアニア出身の記号論者、1917-1992)の行為素モデルで読み直すと、AIの位置づけが鮮明になります。物語には「助力者」と「対立者」という役割があります。AIは言語の壁を取り除く助力者として登場しますが、同時に「統一への過剰な野望」の担い手という対立者の役割も帯びる。印刷革命も電信もインターネットも、登場時には「人類の相互理解を実現する」と期待されました。しかしそのたびに、コミュニケーションの量は増え、合意への距離は縮まらなかった。AIはこの反復の第何回目なのか、という問いが浮かびます。
言語哲学者ウィラード・クワイン(米ハーバード大学、1908-2000)は「翻訳の不確定性」という概念で、翻訳の正しさを決定する客観的事実は存在しないと論じました。ある発話の意味は、話者の信念体系全体と不可分に絡み合っているからです。AIが達成するのは語彙と構文の変換であり、信念体系の移送ではない。さらに深刻なのは、ドナルド・デイヴィドソン(米カリフォルニア大学バークレー校、1917-2003)が「根本的解釈」で示した逆説です。他者を理解するためには、相手が概ね合理的で真なる信念を持つと仮定しなければならない。この仮定なしに、解釈という行為は始まらないのです。
では、AIが言語の壁を下げた後に何が残るかを、実際に試してみることができます。異なる専門領域の人々が議論する場に、AIによる「論点の可視化」ツールを導入してみてください。議論の構造は確かに明確になる。しかし経済学者ケネス・アロー(米スタンフォード大学、1921-2017)の不可能性定理が数学的に証明したように、三人以上の個人が異なる選好を持つとき、それを矛盾なく集約する社会的選択関数は原理的に存在しません。言葉の霧が晴れた後に現れるのは、理解の深まりではなく、価値の多元性という解消不能な亀裂の輪郭です。これは絶望ではなく、出発点の再設定です。
政治学が「建設的曖昧さ」と呼ぶ概念があります。外交文書や法律の文言が意図的に多義的に書かれるのは、無能さではなく技術です。異なる利害を持つ当事者が同一のテキストに合意できるのは、そのテキストが各自の解釈を許容する余地を持つからです。AIによる意味の精密化は、この余地を奪います。アマルティア・セン(ハーバード大学、1933-)が自由主義的パラドックスで示したように、個人の自由と社会的整合性は原理的に緊張する。AIが亀裂を可視化することで、これまで曖昧さの中に封じ込められていた対立が一斉に顕在化する可能性は、技術的楽観論が直視すべき問いです。
しかし、亀裂が見えることと、亀裂が深まることは別の話です。霧の中では、自分がどこに立っているかさえ分からない。AIが亀裂の位置と形状を精密に描き出すなら、人は初めて「どの亀裂は交渉可能か」を問える。バベルの呪いの本質は言語の多様性ではなく、差異の不可視性にあった。AIは呪いを解かない。だが、呪いの地図を初めて人類の手に渡す。その地図を持って、どこへ向かうかは、依然として人間の問いです。