早朝の漁港で、老いた漁師がぽつりと言った。「山が荒れると、魚が来なくなる」。当時その言葉を、私は経験則として聞き流した。しかし後に知ることになる。森の落葉が腐植し、川を流れ、海の植物プランクトンを育て、魚を呼び寄せるという陸海連環の経路は、生化学的に実証されている事実だった。漁師の言葉は比喩でも迷信でもなく、数百年の観察が凝縮された精密な知識だったのだ。私たちが「遠い問題」と感じている海の衰退は、上流の森の記憶と切り離せない。その連鎖を再び見えるようにすることが、今この時代に問われている。
秋、広葉樹の葉が川面に落ちる瞬間を見たことがあるだろうか。その一枚が土壌微生物に分解され、フルボ酸鉄という有機錯体になり、河川を経て沿岸に達し、植物プランクトンの鉄分補給源となる。北海道大学の松永勝彦らが2000年代に実証したこの陸海連環の経路は、「森は海の恋人」という畠山重篤の言葉に科学的な骨格を与えた。一枚の落葉と漁獲量の間には、見えない物質の回廊が走っている。
かつて日本の沿岸集落では、山への入山を季節で制限し、特定の木を切ることを禁じる慣行があった。禁漁期を設け、豊漁に感謝する祭を繰り返した。これらは単なる慣習ではなく、資源管理の機能を持つ制度だった。カナダの資源管理研究者フィクレット・バークス(マニトバ大学)は1999年の著作『Sacred Ecology』で、伝統的生態知識(TEK)が技術情報の層だけでなく、儀礼・タブー・世界観の層に根ざしていることを示した。祭は、生態系管理のプロトコルだったのだ。
しかしここで問い直すべき前提がある。なぜ私たちは、自然を「管理する対象」として見るようになったのか。ブラジルの人類学者エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ(リオデジャネイロ連邦大学)は1990年代から「多自然主義(Multinaturalism)」という概念を提唱した。アマゾン先住民の存在論では、人間・動物・精霊は同一の文化的主体性を持ちながら異なる身体(自然)を持つ。自然と文化を分割する近代西洋の二分法こそが例外であり、人間が自然の一部として生きる感覚は、世界の多くの文化において当然の出発点だった。
では今、その感覚をどう取り戻すか。人文地理学者イーフー・トゥアン(ウィスコンシン大学)が提唱したトポフィリア(場所への愛着)は、持続的な環境保全行動の内発的動機として再評価されている。祭に参加し、川で魚を獲り、山菜を摘む身体経験が、場所との関係を育てる。制度や技術の前に、まず自分の足元の土地と季節を感じることから始めてほしい。上流の山に一度登り、その水が自分の食べる魚を育てていると知ることは、小さくて決定的な変化をもたらす。
生態系もまた、記憶を持つ。スウェーデンのストックホルム・レジリエンス・センターのカール・フォルケらが提唱した「生態的記憶(Ecological Memory)」の概念によれば、生態系は過去の撹乱・管理・種構成の履歴を現在の状態に刻み込んでいる。土地の文化的記憶と生態的記憶は、別々に存在するのではない。世代を超えて漁場を守ってきた集落の記憶が失われるとき、その漁場の生態的回復力もまた同時に失われていく。記憶の継承は、感傷ではなく生態系保全の実践だ。
海の衰退を「技術で解決すべき問題」として切り取るとき、私たちは問いの半分を捨てている。森の落葉が海を育て、祭が漁場を守り、先住民の存在論が自然との関係を根拠づけてきた。この連鎖を再び日常の知覚に取り戻すことなしに、持続可能な水産業も地域再生も、砂上の設計図に終わる。海は今も、森の落葉を待っている。