腐葉土に手を差し込んだことがあるだろうか。指先が湿った暗褐色の層に沈んだ瞬間、鼻をつく土のにおいとともに、奇妙な安堵が胸に広がる。あの感覚の正体を、長いあいだうまく言葉にできなかった。落ち葉は分解され、虫の死骸は菌に食われ、糞は土に溶け、すべてが次の命の素材になっていく。ところが、自分が死んだときのことを想像してみると、その連鎖の外に置かれることに気づく。防腐処理を施された遺体がポリエステルの棺に収まり、コンクリートの区画に密封される。土に還らない。循環に戻らない。この一点から、人間と地球の関係についての問いが立ち上がってくる。
腐葉土の感触を手のひらで受け取ったとき、人は自分がその連鎖の外にいることを、身体で知る。木は枯れ葉を落とし、動物は糞と死骸を土に預け、微生物がそれを次の栄養へと変える。ところが現代の人間の遺体は、防腐剤を注入され、不燃性の素材に包まれ、土壌微生物が届かない深さに封じられる。火葬であれば二酸化炭素と骨灰になるが、窒素・リン・炭素が地域の物質循環に戻ることはない。個人の死という最後の「返却の機会」が、文明の作法によって体系的に遮断されている。
この遮断は、近代に突然起きたわけではない。カール・マルクスは19世紀の資本主義的農業が都市と農村の物質循環を断ち切ったことを「物質代謝の亀裂(Metabolic Rift)」と呼んだ。ジョン・ベラミー・フォスターが1999年に『American Journal of Sociology』で論じたように、都市の下水が農地の窒素循環を迂回して海へ流れ込んだ19世紀こそ、人間が循環の「参加者」から「蓄積者」へと転じた転換点だった。採集狩猟社会では排泄物・遺体・廃棄物がほぼ地域の循環に戻っていた。農業革命・都市化・産業革命を経て、その返却の回路が一つずつ閉じられていった。循環からの離脱は、意図せぬ漂流ではなく、選択の積み重ねだった。
なぜ人間だけが循環の外に立てるのか。社会人類学者ティム・インゴルドは2000年の著作『The Perception of the Environment』で、近代西洋の人間観が「環境を外側から操作する主体」として人間を再定義してきたと批判した。採集狩猟民は自然を「管理」するのではなく、環境の中で「注意を払い続ける(attending)」ことで循環に織り込まれた存在として生きていた。この実践が失われたとき、人間は生態系の外側に立つ観察者になる。エドワード・O・ウィルソンのバイオフィリア仮説が示すように、人間には生命システムへの本能的親和性が刻まれている。現代人が感じる「えも言われぬ不安」は、その親和性が接続先を失ったときに発せられる生態学的シグナルかもしれない。
では、今日から何ができるか。完璧な循環への回帰を設計しようとする必要はない。人類学者アナ・チンが2015年の著作『マツタケ』で描いたように、循環への再参入は精緻な計画よりも偶発的な「絡まり合い(entanglement)」として始まることが多い。生ごみを堆肥にする小さな容器をベランダに置くこと、自然葬・堆肥葬という選択肢を死の準備として知っておくこと、窒素循環を意識して肉食の頻度を見直すこと。米ワシントン州では2019年に人体堆肥葬が法制化され、遺体を土壌に変えて森に還す選択が現実になった。一点でも循環に触れる接点を作ることが、存在論的な安堵への入口になる。
「がん細胞」というメタファーは、人間の地球への関与を描くとき直感的な説得力を持つ。しかし、がん細胞は宿主を壊す意図を持たず、反省も転換もしない。人間はそれができる。ヨハン・ロックストロームらが2009年に『Nature』で提示したプラネタリー・バウンダリーの枠組みは、9つの地球システム境界のうち複数がすでに安全な作動空間を超えていることを示した。この文脈で「適正人口」を問うとき、答えは単なる数値ではない。少数の高消費者が多数の低消費者より地球負荷を高めるという非対称性が示すように、問いは「何人いるか」ではなく「一人あたりどれだけ循環に参与しているか」へと読み替えられなければならない。
人間が循環に還るとき、それは「自然への回帰」というロマン的な後退ではない。インゴルドの言葉を借りれば、環境の「外側に立つ主体」という近代的自己像を手放し、循環の内側に「織り込まれた存在」として自己を再定義する存在論的前進だ。地球にとって人間ががん細胞か共生者かは、まだ確定していない。それは今この瞬間、自分が何を地球に還しているかという問いを立て続けることによって、書き換えられ続けている。