地元の商店街を歩きながら、見知った顔の店主に「お帰り」と声をかけられた瞬間、なぜか胸が痛くなったことがあります。18年間この土地で育ち、数年の東京暮らしを経て戻ってきたはずなのに、「ただいま」と言えなかった。ボランティアで数週間だけ来た若者が「この町が好きです」と言い切るのを聞いて、羨ましいような、悔しいような感覚を覚えた方もいるのではないでしょうか。帰属感とはいったい何を材料に作られるのか。その問いを、社会学と環境心理学の交差点から解きほぐしてみます。
災害ボランティアとして入った見知らぬ土地で、泥をかき出しながら「この場所を守りたい」と感じた人たちの話を聞くたびに、奇妙な逆説に突き当たります。社会学者ロバート・ウォーレン(米ミシガン州立大学)が1970年代に提唱した「場所のコミュニティ(community of place)」と「関心のコミュニティ(community of interest)」の区分によれば、地理的定住は帰属感の必要条件ではありません。ある土地への関心と、そこで交わされる関係性こそが、帰属感の土台を作るのです。
人類学者エドワード・レルフは1976年の著作『場所と場所喪失(Place and Placelessness)』で、「場所への内側からの経験(insideness)」を論じました。これは居住年数ではなく、その土地の物語に自分を重ねられるかどうかの問題です。生まれ育った土地であっても、その土地の歴史や傷に無関心であれば「外側(outsideness)」に留まる。逆に、短期間でも土地の痛みに触れ、自分の行為がその土地の物語の一部になると感じた瞬間、帰属感の芽が生まれます。数週間のボランティアが「ここが好き」と言えるのは、この論理で説明できます。
環境心理学では、場所への愛着を「place attachment」と呼び、「場所のアイデンティティ(place identity)」と「場所への依存(place dependence)」の二層構造で測定してきました。米コーネル大学のリア・スカニエルとロバート・ギフォードが2010年に発表した研究(Journal of Environmental Psychology)では、愛着の強度は滞在期間よりも「その場所で経験した感情の強度」と「自己概念との重なり」に強く規定されると示されています。生まれ育った土地でも、感情的な経験が薄ければ愛着は育ちません。
では、帰属感を意図的に育てることはできるのでしょうか。社会学の「場所に根ざした実践(place-based practice)」の観点から言えば、最も有効な介入は「地域の傷に触れる行為」です。地元の古地図を調べる、廃校になった小学校の記録を読む、高齢の住民に聞き書きをする——こうした行為は、自分の記憶とその土地の歴史を縫い合わせます。帰属感は受動的に「育つ」ものではなく、土地の物語に能動的に介入することで「作られる」ものです。まず一つ、地元の出来事の記録に触れてみてください。
根を張る生き方と放浪する生き方の幸福度の差については、社会疫学の研究が示唆に富んでいます。ただし、その差は「定住か移動か」ではなく、「どこにいても帰属感を持てるか」に由来します。米ハーバード大学のニコラス・クリスタキスらが大規模コホート研究で繰り返し示してきたように、幸福の伝播は地理的近接より関係の質に依存します。帰属感のない定住は、関係の質を高めません。むしろ、場所への問いを持ち続けながら移動する人間の方が、各地で深い関係を結べる場合があります。
生まれ育った土地に「ただいま」と言えないことは、欠落ではありません。それは、帰属感を自明視せず、問い続けている証拠です。土地への帰属感が「滞在時間の積算」ではなく「傷の共有と物語への介入」によって生まれるとすれば、声高に「ふるさとのために」と言える人が持っているのは長い歴史ではなく、その土地の痛みに触れた決定的な一瞬です。あなたがまだ言えないでいるのは、その一瞬を本物として受け取ることへの誠実さかもしれません。