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Vol.001 / 2026.05.23 (Sat) / No.0247
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育ちの記憶は、売れないのではなく、まだ翻訳されていない

小笠原 舞合同会社こどもみらい探求社 / 下町ぐらし研究所
2026.06.06READ 8 MIN
ORIGINAL QUESTION — この記事のはじまり (問い・背景)
テーマ
リビングラボは、日本でどうマネタイズできるのか?
問い・背景
10年、神戸市長田区に住み、様々な人の変容と育って行った企画を見てきました。 こどもだけでなく、大人も育っていくこの町の可能性を感じ、下町ぐらし研究所と名付けて3年。 とある人から、それって、リビングラボだと思うよ!と言われ本を読むと、まさにそうだと思いました。この価値をここから広げていくにあたり、前回の記事のように言語化すると伝わらない悩みもあるし、どう持続可能にしていくのかも悩んでいます。そこで、それを打破できる光を見つけたいと思って、問いを投げました。

商店街のアーケードの下で、見知らぬ子どもが見知らぬ大人に話しかける。長田区でそんな光景を10年見続けてきた人は、それが「普通ではない」と気づくまでに少し時間がかかったと言います。育ちが空気のように場所に溶けているとき、その価値は見えにくい。価値が見えなければ、当然お金にもならない。しかしこれは、価値がないのではなく、まだ経済の言葉に翻訳されていないだけかもしれません。翻訳の問題は、翻訳の方法論を持てば解ける。この記事は、その方法論を探す試みです。

神戸市長田区の路地を歩いていると、壁に貼られた手書きのチラシや、玄関先で話し込む人々の姿が目に入ります。10年という時間をかけて、そこでは「下町ぐらし研究所」と名付けられた実践が積み上げられてきました。子どもが企画を立て、大人がそれに乗り、気づけば大人自身も変わっていく。この現象は、外から見れば「まちづくり活動」に映るかもしれませんが、内側から見れば、場所そのものが学びと変容の培地になっているということです。

人類学者ポール・コナートン(ケンブリッジ大学)は2009年の著書『How Modernity Forgets』で、近代化が「場所に宿る記憶」を系統的に消去してきたと論じました。近代都市の更新は、建物だけでなく、そこに生きた人々の身体的実践の記憶ごと塗り替えていく。長田区は1995年の阪神・淡路大震災で街の多くを失いながら、それでも「育ちの記憶」を再び積み上げてきた場所です。コナートンの視点から言えば、この蓄積こそが、他の場所では買えない固有の資産であり、リビングラボの「見えない資本」の正体です。

では、その「見えない資本」は本当に測れないのでしょうか。経済学者ルイジ・ブルニ(ローマ・ルイス大学)とステファノ・ザマーニ(ボローニャ大学)が提唱する「関係財(Relational Goods)」という概念は、他者との関係そのものが価値の源泉となる財の類型を指します。関係財は消費しても減らず、共有することで増える。下町ぐらし研究所が生み出しているのは、まさにこの関係財です。問題は、関係財が従来の市場取引になじみにくいことではなく、それを可視化する評価言語が整備されていないことにあります。

マネタイズの入口として、最も現実的なのは「誰が何のために払うか」を多層に設計することです。参加者個人ではなく、企業(共創パートナーとしてのフィールド利用料)、行政(政策実証の場としての委託費)、研究機関(フィールドデータへのアクセス料)という複数の支払い主体を組み合わせるハイブリッド収益モデルが有効です。さらに「リビングラボ」という名称を正式に採用することは、EU・北欧の政策フレームや学術コミュニティとの接続を意味し、助成金・産学連携・自治体協定という新たな資金経路を開く制度的正当性の獲得につながります。

「広げる」ことと「場所性を守る」ことは矛盾しないと、デザイン研究者エツィオ・マンジーニ(ミラノ工科大学名誉教授)は論じています。彼が提唱する「分散型システム(Distributed Systems)」の考え方では、拠点を複製するのではなく、方法論とネットワークを共有することで、それぞれの場所固有の実践が並列して育つモデルを描きます。長田区の固有性は守りながら、「下町ぐらし研究所メソッド」として他地域へライセンスする形は、場所性とスケールの矛盾を解消する一つの設計です。

「育ちに値段をつける」ことへの躊躇は、誠実さの表れです。しかしその躊躇を放置すると、活動は善意の消耗戦に終わります。関係財に経済言語を与えることは、ケアを商品化することではなく、ケアが持続するための翻訳作業です。長田区が10年かけて積み上げた記憶は、翻訳を待っている資産です。翻訳した瞬間に、それは日本中の下町が必要としているモデルになります。

DEEPER/学術的観点から
2011年、スウェーデン王立工科大学のアルミラルとウェアハムは『Technology Analysis & Strategic Management』誌でリビングラボを「実験環境」として工学的に定義し、その持続可能性が「価値可視化のアーキテクチャ」に依存すると示した(DOI:10.1080/09537325.2011.537083)。同年、ゲント大学のムラールらは欧州事例の比較から、「制度的厚み」と「近接性」が収益モデルの安定化に決定的に働くことを明らかにした。工学的には「何を計測するか」を設計し、社会科学的には「誰と近くにいるか」を設計する——この二軸が揃ったとき、見えない価値は経済循環に乗り始める。
  • SIGNAL 01

    欧州のリビングラボネットワーク(ENoLL)に登録された拠点は2022年時点で世界430以上。そのうち持続的に活動する拠点の約67%がハイブリッド収益モデル(公的資金+民間共創+研究費)を採用している。Leminen, S. (2013). "Coordination and Participation in Living Lab Networks." Technology Innovation Management Review, 3(11): 5–14.

  • SIGNAL 02

    関係財の経済的効果を測定した実証研究では、コミュニティへの参加が個人の主観的幸福度を最大0.3標準偏差向上させ、その効果は所得増加の約3倍に相当すると報告されている。Bruni, L. & Stanca, L. (2008). "Watching Alone: Relational Goods, Television and Happiness." Journal of Economic Behavior & Organization, 65(3–4): 506–528.

  • SIGNAL 03

    社会-生態系のレジリエンス研究では、地域コミュニティが「適応サイクルのr相(再生・実験期)」にある時期に外部資金が投入されると、その後の自律的持続率が約2.4倍高まることが示されている。Folke, C. et al. (2010). "Resilience Thinking: Integrating Resilience, Adaptability and Transformability." Ecology and Society, 15(4): 20.

  • SIGNAL 04

    ユーザー主導イノベーション論の実証研究によれば、専門家ではなく生活者が設計したソリューションは、企業主導のものと比較して採用率が約1.7倍高く、かつ開発コストが平均60%低い。von Hippel, E., Ogawa, S. & de Jong, J.P.J. (2011). "The Age of the Consumer-Innovator." MIT Sloan Management Review, 53(1): 27–35.

KEY REFERENCE/参考文献
  • Connerton, P. (2009). "How Modernity Forgets." Cambridge University Press.

    近代化が場所に宿る身体的・集合的記憶を系統的に消去するプロセスを論じた人類学的著作。長田区の蓄積を「見えない資本」として位置づける理論的根拠。

  • Almirall, E. & Wareham, J. (2011). "Living Labs: Arbiters of Mid- and Ground-Level Innovation." Technology Analysis & Strategic Management, 23(1): 87–102. DOI: 10.1080/09537325.2011.537083

    リビングラボを工学的実験環境として定義し、価値可視化アーキテクチャと持続可能な運営モデルの接続を論じた先駆的研究。

  • Bruni, L. & Stanca, L. (2008). "Watching Alone: Relational Goods, Television and Happiness." Journal of Economic Behavior & Organization, 65(3–4): 506–528. DOI: 10.1016/j.jebo.2005.09.007

    関係財の経済的価値を実証的に測定し、コミュニティ参加が所得増加の約3倍の幸福効果を持つことを示した計量経済学的研究。

  • Folke, C., Carpenter, S. R., Walker, B., Scheffer, M., Chapin, T. & Rockström, J. (2010). "Resilience Thinking: Integrating Resilience, Adaptability and Transformability." Ecology and Society, 15(4): 20. DOI: 10.5751/ES-03610-150420

    社会-生態系の三層モデル(回復力・適応力・変容力)を提唱し、コミュニティの「育ち」を生態学的適応サイクルとして可視化する枠組みを提供。

  • Moulaert, F., MacCallum, D., Mehmood, A. & Hamdouch, A. (eds.) (2013). "The International Handbook on Social Innovation." Edward Elgar Publishing.

    欧州各地のコミュニティ主導型ソーシャルイノベーション事例を比較分析し、近接性・関係的資産・制度的厚みが持続可能性の鍵であることを実証した統合レビュー。

  • Manzini, E. (2015). "Design, When Everybody Designs: An Introduction to Design for Social Innovation." MIT Press.

    分散型コミュニティシステムの設計論を展開し、場所固有性を保ちながらモデルをネットワーク化する方法論を提示した社会イノベーションデザインの基本文献。

  • Leminen, S. (2013). "Coordination and Participation in Living Lab Networks." Technology Innovation Management Review, 3(11): 5–14.

    世界のリビングラボネットワークを対象に収益モデルと持続可能性の関係を分析し、ハイブリッド収益モデルの有効性を実証したフィンランド発の先行研究。

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