秋の終わり、岡山の山の中で畔を踏みながら、水の流れを読んでいた。どこで土が緩んでいるか、どこに水が溜まりすぎているか——それは誰かに教わった知識ではなく、何百回も同じ場所に立って、足の裏が覚えていったことだ。移住者を受け入れるようになって気づいたのは、棚田の技術を「教えられる」と思っている人ほど、3年で離れていくということだった。知識は渡せる。しかし場所を読む力は、共に在ることでしか移らない。棚田が消えていく本当の理由は、後継者不足ではなく、この「共に在ること」の設計が壊れたことにある、と今は確信している。
十五年間、岡山の棚田で竹を切り、鹿を捌き、空き家を直してきた。その間に四十人以上の移住者と関わった。最初の一年、彼らの目は輝いている。草刈り機の使い方を覚え、畔の補修を手伝い、「自分の手でつくっている感覚」を口にする。しかし三年目に変化が来る。技術は身についた。それでも何かが足りない、という顔をして、多くが去っていく。残る人と去る人の違いを、ずっと考えてきた。資金でも家族構成でもなかった。問いの立て方が、違ったのだ。
文化人類学者フィクレット・バーケス(カナダ・マニトバ大学)は1999年の著作『Sacred Ecology』で、伝統的生態知識(Traditional Ecological Knowledge)が単なる情報の集積ではなく、実践・儀礼・社会制度と不可分に結びついていると論じた。棚田の知は、まさにそれだ。水の読み方、畔の踏み方、季節の体感——これらは文書化できない身体知であり、共同体の中で共に在ることによってのみ移転される。後継者がいないのではなく、この移転の回路が断ち切られている。それが棚田消滅の本質だ。
開発人類学者ポール・シリトー(英・ダーラム大学)は1998年の論文で、外来者が地域の知識を「脱文脈化」するリスクを指摘した。技術だけを抜き出して移植しようとすると、その知識を支えていた社会的文脈ごと壊してしまう。移住支援プログラムの多くが陥る罠がここにある。農業研修で畔の作り方を教えても、なぜその形でなければならないかという「場所の論理」は伝わらない。棚田の知は、教室では学べない。雨の日に一緒に水路を見に行く、その繰り返しの中にしか宿っていない。
では、移住者が根を張るために必要なことは何か。「都会へのもやもや」を動機にした人ほど、地方への期待値が高くなり、現実にぶつかったとき手放しやすい——これは筆者の観察だが、行動科学の知見とも重なる。逃避型の動機は、到達した先で新たな不満の対象を探し始める。一方、根付いた移住者に共通するのは、来る前から「ここで何を問いたいか」が具体的だったことだ。地域に飛び込む前に、自分の問いを鍛える時間を持つこと。それが資金援助や情報提供より先に必要な介入だと思っている。
棚田を「農業」として維持しようとすると、経済合理性で必ず負ける。しかし「営み」として位置づけると、別の価値が浮上する。教育・治療・儀礼・関係的実践としての場が生まれる。都市住民との新しい関係性——移住でも観光でもない「関係人口」という概念が示すように、週末だけ畔を歩く人、水の流れを記録する研究者、棚田米を買い続ける消費者——これらすべてが、共に在ることの回路を構成できる。棚田を生産の場から意味生成の場へと再定義することが、消滅を止める唯一の方向だ。
友人たちの目が死んでいったのは、仕事のせいではない。自分の手が何かに触れていないからだ。棚田は、その触れ方を取り戻す場所として機能しうる。ただし、それは棚田が「答え」だということではない。棚田は問いを深める装置だ。後継者不足という診断は、症状を原因と取り違えている。本当に問うべきは、「誰が継ぐか」ではなく、「どんな問いを持った人が、ここに来るか」だ。