父が逝く夜、病室の廊下で立ち尽くした経験を持つ男性は少なくありません。何をすればよいかわからない、触れてよいのかわからない、泣いてよいのかさえわからない——その戸惑いを「自分の弱さ」だと思い込んできた人も多いはずです。しかし、その感覚の正体は個人の欠陥ではありません。看取るという行為が、この百年あまりの間に男性の手から制度的に取り上げられてきた結果です。その剥奪の歴史を辿ることは、単なる過去の整理ではなく、私たちがどのように死を生き直せるかという問いへの、最初の一歩になります。
父の臨終の場に呼ばれても、何をすべきかわからなかった——そういう経験を持つ現代の中高年男性は珍しくありません。手を握ることも、言葉をかけることも、ただそこに居続けることさえ、どこか場違いに感じてしまう。この違和感は、個人の感情的な未熟さではなく、ある特定の歴史的条件のなかで形成された感覚です。「看取る」という行為が自分事として感じられない男性の戸惑いには、制度と歴史が深く刻まれています。その正体を問うことが、この記事の出発点です。
江戸時代の武士にとって、父の死を看取ることは「武士の務め」でした。山本常朝が口述した『葉隠』には、主君や父の臨終に付き添うことを男子の本懐として記す記述が複数存在します。臨終行儀と呼ばれる死の作法は、武家社会において男性が担う共同体的実践でした。この連続性を断ち切ったのが、明治以降の近代国家形成です。徴兵制・家制度の法制化、そして高度経済成長期の長時間労働体制が、「男は外、女は内」という性別役割を経済合理性として固定しました。NHK国民生活時間調査の1965年版によれば、既婚男性の介護への週あたり関与時間は平均8分にまで低下していました。男性のケア実践が制度的に消去されたこの速度は、「文化的自然」ではなく「政策的設計」の産物です。
死の準備教育(デス・エデュケーション)を日本に導入したアルフォンス・デーケン(上智大学、1932〜2020年)は、看取りの場の共有や死者との対話といった共同体的実践を「よき死」の条件として重視しました。文化人類学者バーバラ・ミヤオフ(カリフォルニア大学ロサンゼルス校、1935〜1985年)は『Number Our Days』(1978年)で、死を個人的事象ではなく共同体的実践として捉え直し、老いと死は語り合い見届け合うことで初めて意味を持つ通過儀礼だと記録しています。男性がこの実践から排除されることは、ケア負担の不均衡にとどまらず、死の準備の機会そのものを奪うという逆説的な損失をもたらします。
「看取りの場に居る」という行為を、技術や役割としてではなく「存在すること」として捉え直してみてください。何かをしなければならない、という義務感を一度手放し、ただそこに居続けることが、すでに一つのケアです。2020年代の日本では、男性介護者・男性看取り者の数が統計的に増加しており、「ケアする男性」が少しずつ可視化されています。政治哲学者ジョーン・トロント(ミネソタ大学)は、著書『Moral Boundaries』(1993年)でケアを市民全員の政治的実践として再定義しました。ケアは特定の性別が担う専門技術ではない——この視点を起点に、日常の中で試せる小さな一歩があります。「場に居続けること」、そして「経験を言葉にすること」です。
哲学者エヴァ・フェダー・キタイは、著書『Love's Labor』(1999年)でケアを依存関係の相互性として再定義しました。看取る者もまたケアを必要とする「二次的依存者」であるというキタイの論理は、男性が看取りに参加することで自らの死への準備が促されるという逆説的な教育効果を裏付けます。ケアの歴史的ジェンダー化を解体することは、単なる平等論ではありません。それは、死を生の対極として管理しようとする近代的態度から、死を生の一部として引き受ける死生観への哲学的転換です。看取りという実践は、死を傍観する姿勢から、自分の死を先取りして生きる姿勢へと、人を静かに連れ出します。
死を準備するとは、死の場面を管理することではなく、看取る側に立つことで自分の死を先取りして生きることです。ケアを取り戻した男性は、死を恐れなくなるかもしれない——この命題は、希望論ではなく構造的な問いです。男性がケアの当事者として死に向き合う文化を作ることは、超高齢社会の政策課題ではなく、人間が人間として死を生き直すための条件です。ケアの歴史的ジェンダー化は制度が作りました。ならば、その解体もまた、制度と文化の意図的な再設計によって可能なはずです。