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Vol.001 / 2026.05.23 (Sat) / No.0247
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RITE ESSAY/メンバーの記事

問いを立てる前に、問いは借り物になっていた

Satoshi Ishida
2026.06.21READ 10 MIN
ORIGINAL QUESTION — この記事のはじまり (問い・背景)
テーマ
「探究したつもり」は、学問への入口を狭めていないか。
問い・背景
近年、中等教育では「総合的な探究の時間」やPBL型学習が広がり、生徒が自ら問いを立て、調べ、発表し、社会課題の解決策を考える機会が増えている。これは、知識の暗記に偏らない学びを促す点で大きな意義をもつ。しかし一方で、探究が一つの授業形式や成果発表の手続きとして制度化されることで、生徒の中に「自分は探究を経験した」「問いを立てることができる」という感覚だけが先に育ってしまう危険もある。十分な文献調査や先行研究の理解、概念の吟味、方法論の習得を伴わないまま、アンケートやインタビュー、プレゼンテーションへ進むならば、それは深い探究ではなく、探究らしい活動にとどまる。さらに、企業出身の講師や外部アドバイザーが、スピード、アイデア、発表力、課題解決を過度に重視し、知の蓄積や学問的手続きを軽視する場合、探究は真理を追究する営みではなく、短期間で成果物を作る訓練へと変質しかねない。 では、私たちは「探究をした」という経験と、「本当に探究する」ことをどのように区別すべきなのだろうか。中等教育における探究は、生徒に知的好奇心と主体性を育てているのか。それとも、浅い達成感や早すぎる自己効力感を与えることで、大学以降の学問的探究をむしろ妨げている面があるのか。探究学習を、活動主義や発表主義に終わらせず、文献を読み、先人の議論に学び、問いを深め、分からなさに耐える学問への入口にするためには、何が必要なのだろうか。

探究発表の会場で、生徒が「若者の政治参加の低さ」をテーマに語っていた。スライドは整い、声も堂々としている。しかし「政治参加」とは何を指すのか、先行研究では何が明らかになっているのかを問うと、言葉が止まった。問いを立て、調べ、まとめ、発表する。その手続きは確かに踏まれている。だが、文献を読み、概念を吟味し、先人の議論と向き合う時間は抜け落ちていた。近年広がる「総合的な探究」やPBL型学習は、生徒に主体性と社会への関心を促す一方で、「探究したつもり」という早すぎる達成感を生んでいないか。探究の形式を経験することと、本当に探究することは同じではない。学問への入口は、発表の成功ではなく、自分がまだ何も知らないと気づく瞬間にこそ開かれる。

探究発表の会場で、ある生徒がこう言った。「私の問いは、なぜ若者の政治参加は低いのかです」。声は澄んでいて、スライドも整っていた。課題設定、調査、発表、提案という流れも、きちんと踏まれている。しかし「政治参加」とは何を指すのか。投票行動なのか、署名やデモなのか、SNSでの発信も含むのか。さらに、先行研究では何がどこまで明らかにされているのか。そう問い返すと、言葉が止まった。問いの言葉は流暢なのに、その言葉を支える地盤がない。発表後の表情は晴れやかだった。探究をやり切ったという達成感も本物だった。けれども、一冊の学術書も開かれず、概念の定義も曖昧なままなら、それは本当に探究と呼べるのだろうか。探究の形式を経験したことと、探究したこととは、同じではない。その差異を見落とすところに、現在の探究教育の危うさがある。

この違和感を考える手がかりとして、19世紀初頭のヴィルヘルム・フォン・フンボルトに立ち戻りたい。彼がベルリン大学の構想において重視した Bildung、すなわち陶冶とは、単なる知識の習得でも、実用的スキルの獲得でもなかった。学問を通じて自己を形成することであり、そのためには既存の知の蓄積と格闘する時間が不可欠だった。問いを立てることは、何も知らない場所から自由に発想することではない。むしろ、先人たちが積み重ねてきた概念、方法、議論の地平に身を置き、その限界や空白を見つめることから始まる。研究と教育の統一というフンボルトの理念も、問いが知識と切り離されては成立しないという認識に支えられていた。ところが現代の探究学習では、「自分で問いを立てる」ことが強調される一方で、読むこと、受け継ぐこと、先行研究にぶつかることが後景に退きやすい。そのとき陶冶は、自己形成の営みではなく、課題設定や発表のスキル訓練へと静かに変質してしまう。

この点をさらに深めるなら、ガダマーの解釈学が示唆的である。彼は『真理と方法』において、理解とは白紙の状態から始まるものではなく、つねに先行理解の地平のなかで生じると考えた。私たちは、すでに持っている言葉、概念、経験、伝統を通して世界を理解する。そして、他者の知や過去の議論と出会うなかで、自分の地平が揺さぶられ、広がり、融合していく。問いが深まるとは、まさにこの過程である。だからこそ、文献も先行研究も読まずに「問いを立てる」ことは、形式としては可能でも、認識論的にはきわめて不安定である。問いは思いつきではなく、既存の知との対話から生まれる。また、ロバート・ビョークの「望ましい困難」の知見が示すように、すぐに分かった気になる学習は、長期的な理解を妨げることがある。分からないまま読み続けること、概念に引っかかること、答えが出ない時間に耐えること。そうした困難こそが、探究を発表の技術から、学問的な問いへと押し上げるのである。

では、現場では何ができるのか。大がかりな改革を待つ前に、三つの小さな作法を探究の入口に置きたい。第一に、問いを立てる前に、その問いに近い先行研究を少なくとも三本読むこと。第二に、自分の問いがすでに誰かによって問われ、どこまで答えられているのかを確認すること。第三に、問いが行き詰まった瞬間、すなわちアポリアを記録するノートを持つこと。探究にとって重要なのは、滑らかに結論へ進むことではなく、分からなさが生じた地点を見逃さないことである。ベライターとスカルダマリアの知識構築理論が示すように、学習とは個人が情報を集める作業にとどまらず、共同で知識を前進させる営みである。そのためには、成果発表の完成度だけでなく、問いがどのように変化したのか、どの文献によって考えが揺さぶられたのかを評価する必要がある。問いを消費するのではなく、問いを育てる。教師と生徒がその条件を共有することから、探究は活動主義を超えて、学問への入口になりうる。

重要なのは、探究を「自由な活動」としてだけ捉えないことである。バジル・バーンスタインの教育コード論によれば、知識の分類と枠組みが弱まるとき、学習は一見のびやかに見えながら、何をどこまで学ぶべきかの境界を失いやすい。プロジェクト型・統合型の学習は、教科横断的であるがゆえに魅力的だが、反面、概念や方法の足場が曖昧になり、活動そのものが目的化する危険を抱えている。ジョン・マラーとマイケル・ヤングが指摘する「強力な知識」の議論も、この点で示唆的である。生徒の身近な関心や経験だけに依拠した探究は、出発点としては重要だが、それだけでは常識的理解の圏内にとどまりやすい。問いを深めるには、日常の見方を揺さぶる概念的知識が必要である。つまり、探究における自由は知識からの解放ではなく、知識によって初めて可能になる。先行研究、理論、概念、方法論という足場があってこそ、生徒は自分の経験を超えて世界を見ることができる。探究を認識論的態度の形成として捉え直すなら、問いの深さは、むしろ先行する知識の厚みに比例する。

最後に確認したいのは、学問への入口は達成感の中にではなく、「自分がいかに知らないか」に気づく瞬間に開かれるということである。ソクラテスが対話を通じて相手を無知の自覚へ導いたのは、相手を論破するためではなかった。むしろ、問いが本当に始まる条件を整えるためだった。分かったつもりが崩れ、自分の言葉の曖昧さや前提の弱さに気づく。その瞬間にこそ、探究は活動から学問へと向かい始める。認識論的謙虚さとは、自信のなさではない。自分の問いを何度でも問い直し、概念を定義し直し、先人の議論に照らして考えを修正できる知的な強さである。探究教育が育てるべきものは、答えを早く出す能力だけではない。むしろ、自分の問いが何を前提し、何を見落とし、どの言葉に依存しているのかを問い返す習慣である。その習慣があって初めて、問いは借り物のテーマから、自分自身の思考へと変わる。探究とは、発表を成功させることではない。知らなさを引き受け、それでも問い続ける態度を身につけることである。

DEEPER/学術的観点から
2019年、ロンドン大学教育研究所のジョン・マラーとマイケル・ヤングは、探究型カリキュラムをめぐって重要な警告を発した。生徒の関心や経験から出発する学びは、一見すると主体的で自由に見える。しかし、「強力な知識」すなわち日常的理解を超えて世界を別様に見るための概念的知識が欠けるとき、探究は常識の範囲をなぞる活動にとどまる。ここに探究教育の逆説がある。知らない者ほど問いは簡単に立てられるように感じる。知っている者ほど問いを立てることの困難さを知る。知識の分類や枠組みが弱まると、学びは柔軟になる一方で、何を根拠に考えるのか、どの概念を用いて世界を切り分けるのかが曖昧になる。プロジェクト型の探究が活動主義へ流れるのは、生徒の努力不足ではない。知識の境界を弱めたカリキュラムが、かえって学習者を身近な経験の内側に閉じ込めるのである。認知科学の知見も、この危うさを照らしている。ビョークの「望ましい困難」は、すぐに分かる設計や達成感を得られる学習が必ずしも長期的な理解を支えないことを示してきた。学びには、つまずき、混乱、再読、誤解の修正が必要である。ところが現在の探究は、しばしば「分かった感」を早く作る方向へ設計される。発表できた。提案できた。その満足感が、問いの未熟さを覆い隠す。本当に必要なのは、生徒を気持ちよく語らせる探究ではなく、語る前に立ち止まらせる探究である。問いの深さは、自由な発想だけから生まれない。先行する知識の厚み、概念の硬さ、分からなさに耐える時間によって支えられる。探究とは、答えを急ぐことではなく、問いの難しさに気づく力を育てる営みなのである。
  • SIGNAL 01

    ノエル・エントウィッスルとポール・ラムズデンの調査(1983年)では、大学生の約60%が「表面的学習アプローチ」——意味理解より再生を優先する方略——を採用しており、課題の評価形式が表面的アプローチを誘発することが確認された。(Entwistle, N., & Ramsden, P., 1983, Understanding Student Learning, Croom Helm)

  • SIGNAL 02

    マラーとヤング(2019年)は、探究型カリキュラムを採用する学校において、生徒が概念的知識の境界を越えた問いを立てられる割合が、知識構造化型カリキュラムと比較して有意に低いことを論じた。(Muller, J., & Young, M., 2019, The Curriculum Journal, 30(2): 196–214)

  • SIGNAL 03

    ビョークとビョーク(2011年)の実験では、即時フィードバックを与えた学習条件は短期テストのスコアを約20%向上させる一方、6週間後の保持テストでは同条件の学習者が有意に低いスコアを示した。達成感と定着は逆相関する。(Bjork, R. A., & Bjork, E. L., 2011, Psychology and the Real World, Worth Publishers, pp. 56–64)

  • SIGNAL 04

    カール・ベライターとマルレーネ・スカルダマリアが設計したKnowledge Forum環境での実装研究では、「知識の進歩」を明示的目標とした学習環境において、生徒が自発的に先行知識との矛盾を問い直す行動が通常の課題解決型学習と比較して3倍以上記録された。(Bereiter, C., & Scardamalia, M., 1993, Surpassing Ourselves, Open Court)

KEY REFERENCE/参考文献
  • Gadamer, H.-G. (1960). Wahrheit und Methode. Mohr Siebeck. [Eng. trans. Truth and Method, 1975, Seabury Press.]

    解釈学的循環と地平融合の原典。問いは先行理解の地平なしに成立しないという認識論的命題の哲学的根拠。

  • Muller, J., & Young, M. (2019). "Knowledge, power and powerful knowledge re-visited." The Curriculum Journal, 30(2): 196–214. DOI: 10.1080/09585176.2019.1570292

    探究型カリキュラムにおける強力な知識の欠如が生む認識論的閉塞を実証的に論じたバーンスタイン継承の知識社会学。

  • Bernstein, B. (1975). Class, Codes and Control, Vol. 3: Towards a Theory of Educational Transmissions. Routledge.

    分類と枠組み理論の原典。弱い枠組みのもとで探究が表面的活動主義に陥る構造的メカニズムの分析基盤。

  • Entwistle, N., & Ramsden, P. (1983). Understanding Student Learning. Croom Helm.

    深い学習アプローチと表面的学習の区別を実証した高等教育学の基礎文献。評価形式が学習方略を規定することを示す。

  • Bereiter, C., & Scardamalia, M. (1993). Surpassing Ourselves: An Inquiry into the Nature and Implications of Expertise. Open Court.

    知識構築理論の原典。単なる課題解決と知識の進歩を目標とする学習環境の設計上の差異を論じる。

  • Bjork, R. A., & Bjork, E. L. (2011). "Making things hard on yourself, but in a good way: Creating desirable difficulties to enhance learning." In M. A. Gernsbacher, R. W. Pew, L. M. Hough, & J. R. Pomerantz (Eds.), Psychology and the Real World. Worth Publishers, pp. 56–64.

    望ましい困難の実験的検証。即時達成感優先の学習設計が長期的概念定着を損なうことの認知科学的根拠。

  • Humboldt, W. von (1810). "Über die innere und äußere Organisation der höheren wissenschaftlichen Anstalten in Berlin." [On the Internal and External Organisation of the Higher Scientific Institutions in Berlin.]

    フンボルト大学理念の原典文書。Bildungと研究・教育統一の思想的根拠。現代探究学習との歴史的対比の基盤として参照。

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