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Vol.001 / 2026.05.23 (Sat) / No.0247
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「戦争はこころから生まれる」 ならば、戦争は、解ける問題だ!

齋藤 聡
2026.06.03READ 8 MIN
ORIGINAL QUESTION — この記事のはじまり (問い・背景)
テーマ
戦争
問い・背景
どうしてこころから始まる戦争をヒトはこころで制御しようと試みないのか?

戦場の映像を見て胸が痛むとき、私たちは「自分は戦争に反対だ」と感じます。その感情は本物です。しかしその感情が、実際に動員される側の人間の胸にも同じように宿っていたという事実を、私たちはどれほど真剣に考えるでしょうか。徴兵された若者も、爆撃命令を下した将校も、戦争を始めた指導者も、かつては誰かを愛し、痛みを知る「こころ」を持っていました。それでも戦争は起きました。この問いの怖さは、悪人の不在にあります。こころが善良であることと、戦争を止めることの間には、私たちが想像するより遥かに大きな溝があるのです。

戦争死者数は20世紀を通じて指数関数的に増加し、今世紀もその傾向は続いています。気候変動には数兆ドルの研究資金が集まり、感染症にはWHOという国際機関があります。では戦争抑制の取り組みや研究はどこにあるのでしょうか。学術誌を探しても、査読論文の主流は「戦争をどう戦うか」であり、「どう起こさないか」ではありません。アカデミアには一種の沈黙があり、それは怠慢ではなく、「人間の本性だから仕方ない」という認識論的な諦めが、問いそのものを封じてきた結果のように見えます。「戦争は人間の本性だ」という言説がアカデミアに根を張ったのは、20世紀初頭の社会ダーウィニズムと、ナポレオン・シャグノンによるヤノマミ族の「生来的暴力性」論が重なった時代からです。しかしその前提は、人類学的証拠によって今や崩れかけています。

山極壽一・元京都大学長は霊長類学の立場から繰り返し指摘しています。人類が定住・土地所有・余剰資源を持ち始めた農耕革命以前の600万年間、組織的暴力はなく、痕跡が残るのは約1万年前の農耕革命以降だと。同様にダグラス・フライ(アラバマ大学)は2013年の比較研究で、狩猟採集社会の大多数が組織的戦争を持たないことを示しました。文化人類学者ブライアン・ファーガソン(ラトガーズ大学)は1995年の『ヤノマミ戦争』で、シャグノンが観察した暴力の多くが西洋との接触・資源競争・国家形成という歴史の産物であることを民族誌的に論証しています。今や「本性論」は学術的諦めの隠れ蓑になっています。一方、発展目覚ましい脳神経科学の領域において、神経内分泌学者ロバート・サポルスキー(スタンフォード大学)は、暴力行動がテストステロンや前頭前皮質の活性化パターンによって文脈依存的に変化することを示した。つまり暴力は固定した本能ではなく、条件次第で抑制できる神経・ホルモン系のプロセスであることを意味しています。

では、なぜ戦争抑制の研究は制度として育たなかったのでしょう。知識社会学の視点から見ると、何が「学問」として認められるかは権力構造と資金の流れによって決まります。気候変動研究にはIPCCという評価機関があり、貧困研究にはランダム化比較試験という方法論的正統性があります。でも、戦争抑制研究にはどちらもありません。軍事史と安全保障学が「戦争学」の正統を占拠し、「戦争をなくす」という問いは規範的・非科学的として査読誌から排除されてきたのです。問いが制度に入れない構造が、研究者の職業的インセンティブを根本から歪めているのです。

自然科学は飛躍的に進化しました。この状況を打破するための実践として、試みてほしいことがあります。戦争の意思決定者が被害者の苦痛を神経レベルで体験する没入型シミュレーションを設計し、共感の回路を意思決定の場に接続することです。神経内分泌学者ロバート・サポルスキー(スタンフォード大学)が2017年の研究で示したように、暴力行動は前頭前皮質とテストステロン・コルチゾールの相互作用によって文脈依存的に発現します。共感を誘発する状況設計は、暴力の閾値を制度的に引き上げる介入として機能します。これは工学と神経科学と政治学が交差する、未開拓の研究領域だと言えます。

さらに根本的な問いが忘れられています。戦争の温床となる「定住・所有・競争」という文明の基本設計を問い直すことです。定住から移住へ、所有からシェアリングへという価値転換は、資源をめぐる零和ゲームの前提そのものを変えます。コモンズの再設計、非所有型の法制度、暴力を構造的に無効化する経済秩序——これらは既存制度の解説ではなく、代替制度の設計図を描く作業です。人文社会科学が担うべき役割はまさにここにあるのです。政治哲学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」と呼んだ、直接暴力の背後にある制度的抑圧の解体は、制度設計の問題として再定義されなければならないと思います。

ユネスコ憲章の前文にはこのように書かれています。「戦争が『こころ』から生まれた」。そうであるならば、「こころ」を変える研究が戦争を終わらせることができるはずです。農耕以前の人類が戦争なしに生きていたという事実は、戦争が「変えられない本性」ではなく「変えられる条件」の産物であることの、最も古い証拠なのです。その証拠の上に立てば、諦めは学術的な態度ではなく、単なる証拠の無視だとわかります。問いを立てよ。戦争は、解ける問題だ。

DEEPER/学術的観点から
2012年、認知人類学者スコット・アトラン(Scott Atran)らがScience誌に発表した実験は、一つの逆説を突きつけます。パレスチナ、イスラエル、アフガニスタンの紛争当事者に「聖なる価値(Sacred Values)」——土地・信仰・民族的尊厳など交渉不可能な信念——が活性化した状態で物質的補償を提示すると、合意率は上がらず、怒りが統計的に有意に増幅されました。合理的インセンティブが逆効果になるこの構造は、制御回路そのものの無効化を意味します。さらにリチャードソンの軍拡競争モデルが示すように、国家間の軍備フィードバックループは個人の意志とは独立して自己組織化します。こころの制御が届かないのは意志の弱さではなく、神話が回路を先占し、構造がループを閉じているからです。
  • SIGNAL 01

    聖なる価値を持つ交渉者に物質的補償を提示した実験で、合意率は上昇せず、怒りスコアが統計的に有意に増大した(p<0.05)。理性的インセンティブが逆効果になる逆説を実証。Atran, S. & Ginges, J. (2012). Science, 336(6083): 855-857.

  • SIGNAL 02

    チンパンジーと人間が共有する「不均衡な連合攻撃」は、コスト低・利益高の条件下で自然選択によって強化された可能性があり、前頭前野の抑制機能より進化的に古く頑強な回路として機能する。Wrangham, R. W. (1999). Current Anthropology, 40(S1): S1-S21.

  • SIGNAL 03

    戦争の規模分布はべき乗則に従い(Richardson Number)、小競り合いから世界大戦まで同一の統計的構造を持つ。これは個人の憎悪の総量ではなく、国家間フィードバックループの自己組織化を示す。Richardson, L. F. (1960). Statistics of Deadly Quarrels. Quadrangle Books.

  • SIGNAL 04

    道徳的離脱の7機制(道徳的正当化・婉曲的命名・有利な比較・責任の分散・結果の無視・非人間化・帰責の転嫁)は、通常の社会的文脈で段階的に活性化され、特別な悪意を必要としない。Bandura, A. (1999). Personality and Social Psychology Review, 3(3): 193-209.

KEY REFERENCE/参考文献
  • Atran, S. & Ginges, J. (2012). "Religious and Sacred Imperatives in Human Conflict." Science, 336(6083): 855-857. DOI: 10.1126/science.1216902

    聖なる価値が活性化した状態では物質的補償が怒りを増幅させることを実験的に示した、合理的制御の無効化を論じる中核的実証研究。

  • Wrangham, R. W. (1999). "Evolution of Coalitionary Killing." Current Anthropology, 40(S1): S1-S21. DOI: 10.1086/200035

    チンパンジーと人間に共通する不均衡な連合攻撃の進化的起源を論じ、集団間暴力が自然選択によって強化されてきた可能性を示す進化生物学の基礎論文。

  • Bandura, A. (1999). "Moral Disengagement in the Perpetration of Inhumanities." Personality and Social Psychology Review, 3(3): 193-209. DOI: 10.1207/s15327957pspr0303_3

    正常なこころが段階的に再カテゴリ化される社会的プロセスとして道徳的離脱の7機制を体系化した、暴力の社会認知理論の代表的論文。

  • Cederman, L.-E. (2003). "Modeling the Size of Wars: From Billiard Balls to Sandpiles." American Political Science Review, 97(1): 135-150. DOI: 10.1017/S0003055403000571

    複雑適応系モデルによって戦争規模がべき乗則に従うことを政治科学的に定式化し、個人の意志を超えた自己組織化構造を示す。

  • Ehrenreich, B. (1997). Blood Rites: Origins and History of the Passions of War. Metropolitan Books.

    戦争を先史の捕食者への恐怖から生まれた集団的恍惚儀礼として読み解き、神話層に理性の言語が届かない理由を文化史的に論じた基礎文献。

  • Richardson, L. F. (1960). Statistics of Deadly Quarrels. Quadrangle Books.

    戦争規模のべき乗則と軍拡競争の微分方程式モデルを初めて体系化した数理物理学の古典的著作。

  • Kelman, H. C. (1973). "Violence without Moral Restraint: Reflections on the Dehumanization of Victims and Victimizers." Journal of Social Issues, 29(4): 25-61.

    共感能力を持つ人間が共感を選択的にオフにする社会的プロセスとしての非人間化を論じた、社会心理学における暴力研究の古典。

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