戦場の映像を見て胸が痛むとき、私たちは「自分は戦争に反対だ」と感じます。その感情は本物です。しかしその感情が、実際に動員される側の人間の胸にも同じように宿っていたという事実を、私たちはどれほど真剣に考えるでしょうか。徴兵された若者も、爆撃命令を下した将校も、戦争を始めた指導者も、かつては誰かを愛し、痛みを知る「こころ」を持っていました。それでも戦争は起きました。この問いの怖さは、悪人の不在にあります。こころが善良であることと、戦争を止めることの間には、私たちが想像するより遥かに大きな溝があるのです。
戦争死者数は20世紀を通じて指数関数的に増加し、今世紀もその傾向は続いています。気候変動には数兆ドルの研究資金が集まり、感染症にはWHOという国際機関があります。では戦争抑制の取り組みや研究はどこにあるのでしょうか。学術誌を探しても、査読論文の主流は「戦争をどう戦うか」であり、「どう起こさないか」ではありません。アカデミアには一種の沈黙があり、それは怠慢ではなく、「人間の本性だから仕方ない」という認識論的な諦めが、問いそのものを封じてきた結果のように見えます。「戦争は人間の本性だ」という言説がアカデミアに根を張ったのは、20世紀初頭の社会ダーウィニズムと、ナポレオン・シャグノンによるヤノマミ族の「生来的暴力性」論が重なった時代からです。しかしその前提は、人類学的証拠によって今や崩れかけています。
山極壽一・元京都大学長は霊長類学の立場から繰り返し指摘しています。人類が定住・土地所有・余剰資源を持ち始めた農耕革命以前の600万年間、組織的暴力はなく、痕跡が残るのは約1万年前の農耕革命以降だと。同様にダグラス・フライ(アラバマ大学)は2013年の比較研究で、狩猟採集社会の大多数が組織的戦争を持たないことを示しました。文化人類学者ブライアン・ファーガソン(ラトガーズ大学)は1995年の『ヤノマミ戦争』で、シャグノンが観察した暴力の多くが西洋との接触・資源競争・国家形成という歴史の産物であることを民族誌的に論証しています。今や「本性論」は学術的諦めの隠れ蓑になっています。一方、発展目覚ましい脳神経科学の領域において、神経内分泌学者ロバート・サポルスキー(スタンフォード大学)は、暴力行動がテストステロンや前頭前皮質の活性化パターンによって文脈依存的に変化することを示した。つまり暴力は固定した本能ではなく、条件次第で抑制できる神経・ホルモン系のプロセスであることを意味しています。
では、なぜ戦争抑制の研究は制度として育たなかったのでしょう。知識社会学の視点から見ると、何が「学問」として認められるかは権力構造と資金の流れによって決まります。気候変動研究にはIPCCという評価機関があり、貧困研究にはランダム化比較試験という方法論的正統性があります。でも、戦争抑制研究にはどちらもありません。軍事史と安全保障学が「戦争学」の正統を占拠し、「戦争をなくす」という問いは規範的・非科学的として査読誌から排除されてきたのです。問いが制度に入れない構造が、研究者の職業的インセンティブを根本から歪めているのです。
自然科学は飛躍的に進化しました。この状況を打破するための実践として、試みてほしいことがあります。戦争の意思決定者が被害者の苦痛を神経レベルで体験する没入型シミュレーションを設計し、共感の回路を意思決定の場に接続することです。神経内分泌学者ロバート・サポルスキー(スタンフォード大学)が2017年の研究で示したように、暴力行動は前頭前皮質とテストステロン・コルチゾールの相互作用によって文脈依存的に発現します。共感を誘発する状況設計は、暴力の閾値を制度的に引き上げる介入として機能します。これは工学と神経科学と政治学が交差する、未開拓の研究領域だと言えます。
さらに根本的な問いが忘れられています。戦争の温床となる「定住・所有・競争」という文明の基本設計を問い直すことです。定住から移住へ、所有からシェアリングへという価値転換は、資源をめぐる零和ゲームの前提そのものを変えます。コモンズの再設計、非所有型の法制度、暴力を構造的に無効化する経済秩序——これらは既存制度の解説ではなく、代替制度の設計図を描く作業です。人文社会科学が担うべき役割はまさにここにあるのです。政治哲学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」と呼んだ、直接暴力の背後にある制度的抑圧の解体は、制度設計の問題として再定義されなければならないと思います。
ユネスコ憲章の前文にはこのように書かれています。「戦争が『こころ』から生まれた」。そうであるならば、「こころ」を変える研究が戦争を終わらせることができるはずです。農耕以前の人類が戦争なしに生きていたという事実は、戦争が「変えられない本性」ではなく「変えられる条件」の産物であることの、最も古い証拠なのです。その証拠の上に立てば、諦めは学術的な態度ではなく、単なる証拠の無視だとわかります。問いを立てよ。戦争は、解ける問題だ。