夜が深まると、その老人は庭先に座る。生前と変わらぬ姿勢で、家の入り口を向いて。亡くなって一週間が経っていた。村の人々は「おじいさんが見張っている」と言い、恐れるでも悲しむでもなく、ごく当たり前の事実として口にした。アフリカで医療に携わってきた25年間、死は毎日そこにあった。エイズ、マラリア、栄養不良、事故。しかし死に対する人々の構えは、私が育った文化のそれとは根本的に異なっていた。葬儀の三日三晩が終わると、笑顔が戻ってくる。死者は別の世界で新しい仕事を始めたのだ、と。その言葉を聞いて、なんだかうらやましい気持ちになった。「死はすべての終わり」、と思っていたが、死んでも役割を果たす世界観がアフリカにはあった。
アフリカでのある葬儀の夜、泣き女たちの声が村を満たす。雇われて泣くという行為を、最初は奇妙に感じた。しかし三日が過ぎると、共同体全体が喪失を引き受けたかのように、空気が変わる。個人が一人で悲しみを抱え込むのではなく、儀礼という容れ物に悲嘆を注ぎ込み、共同体全体で担い合う。泣くことは感情の自然な流出ではなく、共同体が死を統合するための叡智だった。
ケニア出身の宗教学者ジョン・ムビティは1969年の著作『African Religions and Philosophy』で、アフリカの時間が西洋の線形的未来志向と根本的に異なると論じた。アフリカ的時間は「過去(ザマニ)」に向かって蓄積される。死者は「最近死んだ者(Living Dead)」として生者の記憶の中に生き続け、記憶する者が誰もいなくなって初めて「完全な死」に至る。死は一度で完結しない。記憶が続く限り、死者はまだ死んでいない。
この時間論は、心理学が近年明らかにした悲嘆の実態と奇妙に共鳴する。デニス・クラスらが1996年に提唱した「継続する絆(Continuing Bonds)」理論は、死別後も故人との内的関係を維持することが適応的であると示した。フロイトが「喪の作業」として死者との絆を切断することを回復の条件とした枠組みを、根底から覆す主張だった。アフリカの祖先崇拝は、この理論の非西洋的先行実践として読み直せる。死者との関係は終わらせるものではなく、形を変えて続くものだ。
庭先に祖父を埋葬するという慣行を、衛生上の問題として指導しようとしたことがある。しかし立ち止まって考えると、それは死者を「管理すべき遺体」として扱う医療的視点の押しつけだったのかもしれない。ムビティの言う「Living Dead」として機能する祖父は、土地の記憶であり、家族の道徳的権威であり、共同体の紐帯そのものだった。死者を生活空間の外に出すことが、必ずしも普遍的な「進歩」ではない。この祖父には、この人しかできないユニークで重要な役割があった。それを死をもって絶やしてしまうことはあってはならない、とアフリカの叡智は教えてくれる。
バントゥー哲学を記述したベルギーの宣教師プラシード・テンペルスは1945年に、生命力(Vital Force)がすべての存在を貫く連続的な力として機能すると論じた。死はこの力の消滅ではなく、変容だ。生者・死者・自然が同一の力の連続体に属するという存在論は、西洋近代医学が前提とする「死=生の終点」という枠組みを解体する。死の瞬間に何かが完全に終わるという感覚は、生物としての医学的な解釈に過ぎない。死の真実は、特定の文化や科学が採用した誤謬を超えたところにあるはずである。
孤独死が増え、死が病院の個室に隔離された社会で、死者はもはや何の仕事も持たない。庭先に座る祖父がいなければ、私たちは死を恐れるだけだ。アフリカの死生観が示すのは、死者に役割を与え続ける共同体だけが、死と隣り合わせに生きられるという逆説である。