2020年春、手洗いとマスクの合間に、人々はスマートフォンを手に取り、鱗を持つ半人半魚の生き物を描き続けた。アマビエ。江戸時代の瓦版に一度だけ刷られ、127年間ほぼ忘れられていた妖怪が、ウイルスという名の見えない脅威とともに突如として蘇った。タイムラインを流れるその無数の図像を眺めながら、ふと手が止まった——私たちは感染対策の合間に、なぜ妖怪の絵を描いていたのか。科学的知見を信頼し、ワクチンの開発を待ちながら、同時に江戸の呪術的図像を複製・共有していた。この奇妙な二重性こそが、パンデミックが照らし出した現代人の認知の核心である。
2020年4月、緊急事態宣言下の静まり返った街で、SNSには数千枚のアマビエが溢れていた。イラストレーターも、会社員も、子どもも、思い思いの画風でその姿を描き、「疫病退散」の言葉を添えてタイムラインに放った。手洗いの回数を数え、感染者数のグラフを確認し、そして妖怪を描く——この三つの行為が同じ一日の中に並んでいた。近代医学と呪術的図像が同居するその光景は、奇妙というより、むしろ必然のように見えた。名前のない恐怖が社会を覆うとき、人間の手はどこへ向かうのか。アマビエの爆発的な復活は、その問いへの答えを静かに示していた。
アマビエが最初に記録されたのは1846年(弘化3年)、肥後国(現・熊本県)の海中から出現したという瓦版の記事である。「当年より6ヶ年の間は豊作、しかし疫病流行したら私の写しを人々に見せよ」と告げ、海へ帰ったとされる。この予言の構造は単純だが精巧だ——図像を複製し配布することが、そのまま厄除けの行為になる。明治期、哲学者・井上円了は1893年に哲学館(現・東洋大学)で妖怪学を創始し、妖怪を「迷信」として科学的に解明・排除しようとした。その試みは近代合理主義の勝利のように見えたが、127年後のパンデミックは、その排除が完全ではなかったことを証明してみせた。
なぜアマビエはこれほど速く広まったのか。認知宗教学者パスカル・ボワイエらが2001年に『Cognition』誌で示したように、「ほぼ自然物だが一点だけ物理法則を破る」反直観的概念は、直観的概念より有意に記憶・伝達されやすい。アマビエは「海に棲む・鱗を持つ」という自然的属性を持ちながら、「人語で疫病を予言する」という一点の逸脱を持つ。この構造的な「ずれ」こそが、127年の時を超えて記憶を生き延びた認知的理由である。文化人類学者メアリー・ダグラスの穢れ論を補えば、「分類不能な異物」たるウイルスが妖怪という象徴カテゴリに吸収されることで、認知的秩序が一時的に回復される過程が見えてくる。
アマビエを描くことは、キャラクターを消費することではない。民俗学者・小松和彦が『妖怪学新考』(1994年、小学館)で示した「境界侵犯モデル」によれば、妖怪とは人間界と異界の境界を侵犯する存在であり、その出現は秩序の危機を告げる。描くという行為は、その危機に輪郭を与え、対話可能な存在として手元に引き寄せる実践である。今あなたが感じている漠然とした不安——仕事の先行き、人間関係の亀裂、身体の不調——に、絵でも言葉でも「形と名前」を与えてみることを試みてほしい。名前のない恐怖は最も強く人を縛る。輪郭を持った恐怖は、初めて対話の相手になる。妖怪を描く手の動きは、その古くて新しい知恵の実践だった。
文化人類学者フィリップ・デスコラは、アニミズムを「内面を共有し外形が異なる存在様式」と定義した。日本の妖怪文化はこの類型に近く、妖怪は自然界の内面を人間と共有する存在として機能してきた。COVID-19はコウモリ由来のウイルスが動物から人間へ越境した「スピルオーバー」現象であり、生態学者ピーター・ダスザクらが2000年に『Science』誌で論じた野生動物由来感染症の構造そのものである。自然界から人間界へ境界を越えてくる病原体と、海(自然界)から陸(人間界)へ越境して予言を告げる妖怪は、同じ境界を舞台にしている。「妖怪回帰」は退行ではなく、自然と人間の連続性を感覚として取り戻そうとする、存在論的感性の再起動だった。
鬼滅の刃における「鬼」は、人間が変容した感染的存在であり、鬼舞辻無惨の血を受けた者が人間性を失う——その物語構造は、ウイルスによる変容という恐怖と鏡のように対応する。パンデミック下でこの作品が空前のヒットを記録したのは偶然ではない。名前のない恐怖に名前と形を与え、倒せる敵として物語化する——その集合的カタルシスを、社会全体が必要としていた。ここで問いを反転させよう。妖怪を信じていない私たちが妖怪を描いたのではなく、妖怪を必要としていた私たちが、信じることなしに妖怪を使いこなした。この逆説が示すのは、科学と呪術は対立しないという事実だ。どちらも、自然界の脅威に名前を与え、対話可能にしようとする人間の根源的な衝動から生まれている。