助成申請書を読み続ける仕事をしていると、ある感覚が研ぎ澄まされてくる。AIのサポートを受けた申請書は、以前より格段に整っている。論旨は明快で、意義も過不足なく伝わる。それでも、ざっと読んだ瞬間に「この答えが知りたい」と体が前のめりになる申請書と、意義は理解できるのに心が動かない申請書の間には、埋めようのない溝がある。そして振り返ると、採択されているのはほぼ確実に前者だ。この溝は、論理の精度の差ではない。何かもっと根本的なところに、研究の「面白さ」の正体が潜んでいる気がしてならない。
申請書を一枚めくるたびに、体はすでに判断を下している。目が文字を追う前に、問いの立て方の輪郭だけで「これは面白い」という感覚が走る。その感覚を言語化しようとすると、途端に手がかりが逃げていく。意義の有無ではない。文章の巧拙でもない。採択率の高い申請書には、読み手に「次を知りたい」という前傾姿勢を引き起こす何かが宿っている。その「何か」の正体を問うことが、このエッセイの出発点だ。
「面白い」という感覚は、知の歴史において単なる感情ではなかった。アリストテレスは哲学の起源をthaumazein(驚嘆)に求め、驚きこそが問いを生む原動力だと論じた。19世紀末、哲学者チャールズ・サンダース・パースはアブダクション(仮説的推論)という概念を提唱し、「驚くべき事実がある、もしHが真なら説明できる、ゆえにHを疑う理由がある」という推論形式を記述した。意義の証明と驚きの喚起は、歴史的にも別の認知的出来事であり、後者こそが新しい知の探索を駆動してきた。
この「面白さ」の正体を、心理学と神経科学は実証的に照射している。行動経済学者ジョージ・ローウェンスタインは1994年、既知と未知のギャップを知覚したときに好奇心が最大化されるという情報ギャップ理論を提唱した。驚くべきことに、人の好奇心は「全く知らない領域」ではなく「少し知っている領域」で最も高まる——つまり申請書の面白さは情報量ではなく、読み手の既存知識との絶妙なギャップ設計にかかっている。感情心理学者ポール・シルヴィアはさらに、新規性と理解可能性の組み合わせが「面白さ」を生む条件であることを示した。
では、読み手に「面白い」と感じさせる問いはどう立てるのか。哲学者ハンス=ゲオルク・ガダマーは1960年の主著『真理と方法』で「問いの論理」を論じ、理解とは答えを受け取ることではなく問いを開くことだと述べた。読み手が「面白い」と感じる瞬間は、テキストが自分の地平に問いを投げかけてくる瞬間——ガダマーの言う「地平融合(Horizontverschmelzung)」の予感だ。申請書を書く際に試してほしいことがある。「この問いに答えが出たら、自分は何に驚くか」を一文だけ書いてみてください。その一文が、読み手の前傾姿勢を引き起こす核になる。
AI支援で整えられた申請書が増えるなか、ある逆説が浮かび上がる。文章が整うほど、研究者固有の驚きの感受性が平滑化されていく。科学哲学者マイケル・ポランニーが1966年に論じた暗黙知(tacit knowledge)——「私たちは語れる以上のことを知っている」——の観点から見れば、「面白さ」とは言語化される前の研究者の驚きそのものであり、均質化された文体はその荒さを消去する。意義を可視化するほど面白さが失われるというこの逆説は、AI時代の研究評価が直面している構造的な問題だ。
「面白い」という直感は、審査員個人の趣味ではない。研究が世界に対して問いを開いている証拠だ。採択を目指して申請書を整えるのではなく、自分自身が「この答えを知りたい」と体が動く問いを立てること——その問いの構造そのものが、他者の直感を動かす。研究の面白さは伝えるものではなく、問いの開放性に宿るものだとすれば、書き手に問われているのは文章力ではなく、驚く能力だ。