引越しから三日目の朝、玄関先に回覧板が届いた。差出人の名前ではなく「上の家の人」という呼び方で渡されたとき、自分がまだ固有の顔を持っていないことに気づいた。その週のうちに、自治会の班長、水利組合の補佐、神社の氏子総代補という三つの肩書きが、ほぼ同時に割り当てられた。東京では十年暮らしても隣人の名前を知らなかった。今は名前より先に役割が来る。その圧迫感と、奇妙な充実感が、同じ朝に混在していた。
引越しの荷解きが終わらないうちに、集落の「顔」になることを求められた。回覧板を受け取り、次の家へ届ける。その短い往復のなかに、誰がどの家族で、どの田んぼを持ち、どの神事を仕切るかという情報網が埋め込まれていた。東京では自分の意志でコミュニティを選んでいた。ここでは、コミュニティのほうが先に自分を選んでいた。その非対称性は、最初のうち純粋に息苦しかった。
都市のコミュニティを「希薄だ」と嘆く言説は、1960〜70年代の都市社会学が生んだ「コミュニティ喪失論」に端を発する。しかし米トロント大学の社会学者バリー・ウェルマンは1979年の研究で、都市住民が地縁を超えた「パーソナル・コミュニティ」を農村住民と同等以上に保有していることを示した。東京にも祭りがあり、地縁組織があり、ジェンダー平等の実装では農村を大きく上回る。都市と農村を二項対立で語る枠組み自体が、特定の時代が生んだ物語にすぎない。
では、中山間地の「役割の多さ」は人をどう変えるのか。米ヴァンダービルト大学の社会学者ペギー・ソイツは1983年、役割を多重に担う人ほど精神的健康スコアが高いという逆説的な実証結果を示した。役割は負荷ではなく、アイデンティティの足場になる。日本の社会学者・似田貝香門が1970年代の住民運動研究で描いた「生活構造論」もまた、人が複数の場で複数の顔を持つことで、初めて地域への帰属感が立体的になると論じていた。役割の多さは、重さではなく奥行きだった。
息苦しさを感じたとき、一つのコミュニティに深くコミットし続けることが誠実さだと思い込んでいた。しかし実践として有効だったのは、意図的に複数の場へ薄く広く接続する「梯子のルール」だった。集落の水利組合に出た翌日、集落外のオンライン読書会に顔を出す。神社の掃除当番の帰りに、隣町のカフェに立ち寄る。都市在住者なら、マンション管理組合と趣味サークルと地域の祭りを同時に掛け持つことが、同じ機能を果たす。一つの場が息苦しくなったとき、別の場がすでに開いている状態をつくることが、鍵だった。
「所属を分散させる」ことは、薄い人間関係の言い訳ではない。米シカゴ大学の社会学者ロナルド・バートは2004年、複数のコミュニティを橋渡しする「媒介者(ブローカー)」が、単一集団に閉じた人間よりも優れたアイデアを生み出すことを実証した。複数の場を梯子する身体は、情報と資源の回路になる。変容とは、一つの土地に深く根を張ることではなく、複数の場を軽やかに繋ぐ身体を獲得することだという暮らしの哲学が、ここに立ち上がる。
「コミュニティの密度」と「コミュニティの数」は、別の問いだ。人口1000人の村で10の役割を担う人と、1000万人の都市で1つの顔しか持てない人——どちらが豊かなコミュニティを生きているかは、密度でも人数でも測れない。人はどれだけ多くの「顔」を持てるかによって自由になれる。その逆説を、回覧板を手に取るたびに思い出している。