朝のニュースを開くたびに、世界がすこし小さくなる気がします。戦争、気候変動、経済危機——それぞれの出来事は本来、無数の文脈と偶然と人間の意志が絡み合った塊のはずです。それなのに、見出しを読んだ瞬間、すべてがわかったような感覚が訪れる。この「わかった」という感覚こそ、知識が世界を圧縮している証拠かもしれません。認知科学は長らく、人間の理解とはノイズを削ぎ落とし、統計的に最も起こりやすい推論へと収束させる働きだと示してきました。知識は多様性を広げるどころか、むしろ世界を「ありうる形」のひとつへと折りたたんでいる——その逆説を、ここから解きほぐしてみます。
電車のなかで隣に座った見知らぬ人を、私たちは数秒で「タイプ分け」します。服装、姿勢、手元のスマートフォン——それらの断片から脳は一瞬でひとつの人物像を組み上げる。この速度こそが問題の核心です。認知科学者のジェイコブ・ホウイ(Jacob Hohwy、オーストラリア・モナッシュ大学)は、脳を「予測機械」として捉える予測符号化理論(predictive coding)を2013年の著書で体系化しました。脳は感覚入力を受け取る前から「こうであるはず」という予測モデルを走らせており、実際の入力はその誤差を修正するためだけに使われます。知覚とは発見ではなく、確認なのです。
この予測の構造は、文化と歴史の産物でもあります。哲学者の和辻哲郎(1889〜1960)は、主著『風土』(1935年、岩波書店)のなかで、人間の感受性はつねに特定の気候・地理・歴史に根ざした「風土」によって先行的に形成されると論じました。私たちが「理解する」とき、それは個人の認知能力だけでなく、その人が育った文化的風土が提供するカテゴリーを通じて世界を切り取る行為です。知識とはその風土が蒸留したカテゴリーの集積であり、学べば学ぶほど、その風土が用意した「見え方」へと収束していきます。多様性の拡張ではなく、文化的圧縮が進むのです。
心理学の実証はこの圧縮をさらに精緻に描き出します。認知心理学者のダニエル・カーネマン(プリンストン大学)らが展開した二重過程理論では、熟達した知識はシステム1(速く直感的な処理)に移行し、多くの判断が「考えずに」下されるようになると示されています。2002年のノーベル経済学賞受賞講演でも強調されたこの知見は、専門家が初心者より多くの「見落とし」をする場面を説明します。医師は症状の組み合わせを見た瞬間に診断を下し、それ以外の可能性を探索する認知コストを払わなくなる。知識の深化は、注意の範囲を絞り込む装置でもあります。
神経科学者のカール・フリストン(Karl Friston、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)は、脳全体の働きを「自由エネルギー最小化」という単一の原理で記述する「能動的推論(active inference)」の概念を2010年にNature Reviewsで提示しました。脳は外界の多様性をそのまま取り込もうとするのではなく、自らの予測モデルが外れる「驚き(surprise)」を最小化するよう常に動いています。予測が外れる「居心地が悪い状態」を避け、出来るだけ単純でコストのかからない答えを求めるのは、脳の本質的な性質であり、無意識のうちに私たちの思考を引きつけます。
AIが「圧縮された答え」を瞬時に提供する現在、この問いはより切迫した意味を持ちます。哲学者の大澤真幸(1958年生、京都大学名誉教授)は、現代社会における「虚構の時代」の終焉として、人々が大きな物語を失った後に何に依拠するかを問い続けています。陰謀論の吸引力は、複雑な現実を単純な因果に還元する「圧縮の快楽」そのものです。AIが提供する要約もまた、同じ快楽の構造を持っています。問題はAIの能力ではなく、圧縮された答えを「理解」と誤認する私たち自身の認知的傾向にあります。
知識は世界を開くのではなく、世界を閉じる——この命題を受け入れることが、逆説的に、より誠実な知の在り方への入口になります。「わかった」という感覚が訪れた瞬間こそ、そこで立ち止まってしまわない必要があります。生存のための知恵である圧縮を一旦手放す。居心地の悪さに向き合いながら、新たな意味を探し続けること。そこにこそ真のwellbeingに繋がる道があるのでは無いでしょうか?