研究発表の後、先輩に言われた一言がある。「それは発見じゃなくて、知らなかっただけだよ」。自分が感じた驚きは本物だったはずなのに、「情報にたどり着けなかった怠惰」だったなんて、しばらく理解できずに、意地悪な先輩だな、とその場をやり過ごしてしまった。でも、ふと立ち止まって考える。情報を持っていなかったことは、だから発見ではないのだろうか?研究の世界だとその理屈はわかってしまう。しかし、自らの固定観念を打ち破り、問いそのものに初めて触れたように感じられたことは、本当に発見とは呼べないことなのだろうか。「知らなかったこと」と「不思議なこと」を明確に区別して片付けることで、何かが失われていないだろうか。この問いこそ、学術知の光に当ててみたい。
自分にとって世界が一瞬変わったように感じた発見が、他の人にとっては真新しくも何ともなく、「いまさら気づいたの?」と、想像とは違う反応を受けたときの感じ。あの感覚は、みな一度くらいは経験したことがあるはずだ。先行研究の一行で「既知」と処理される瞬間。その落差は、単なる情報不足の露呈として片付けられる。しかし「知らなかっただけ」という言葉には、暗黙の前提が潜んでいる——問いを持つことと情報を持つことは同じだ、という前提だ。その前提こそを、まず疑ってみる必要がある。
ソクラテスが「無知の知」を語ったのは、情報不足の告白ではなかった。それはアポリア——問いに行き詰まり、概念的な困惑の縁に立つ体験——の表明だった。古代ギリシャから近代科学に至るまで、「わからない」は探究の出発点として制度的に価値づけられてきた。転換が起きたのは近代以降だ。印刷技術と情報流通の加速とともに、「知らない=怠惰」という等式が文化的に定着し、二種類の無知が同一視されるようになった。無知は欠如であり、補完すべき状態だという観念が広まった。
ガストン・バシュラール(フランスの科学哲学者、1884–1962)は1938年の主著『科学的精神の形成』で、驚くべき命題を提示した。科学的発見を阻む最大の障害は情報の欠如ではなく、すでに「わかった気」になっている直観的知識だ、と。彼はこれを「認識論的障害(obstacle épistémologique)」と呼んだ。よく知っている人ほど新しい問いを立てにくい——この逆説は、「知らなかっただけ」という批判が逆に、問いを持てない者の側の障害を映し出している可能性を示唆する。エドムント・フッサールの「地平(Horizont)」概念と接続すれば、「わからない」とはその地平の縁に触れる体験であり、知の可能性の境界に立つことでもある。
では、日常の思考の中でこの区別を実践するにはどうすればいいか。一つの習慣を提案したい。「わからない」に出会ったとき、それを二種類に書き分けるノートをつけてみてほしい。①検索すれば消える「知らない」と、②問いの輪郭すら定まらない「わからない」とを、別の欄に記す。科学哲学者N・R・ハンソン(ケンブリッジ大学、1924–1967)が論じた「観察の理論負荷性」によれば、何を「見る」かはすでに概念的枠組みに依存している。「わからない」を言語化しようとする行為そのものが、枠組みを組み替える仮説形成——アブダクション——の入口になる。書くことで問いは生まれ、問いは問いを呼ぶ。
「それは知らなかっただけ」という言葉は、認識論的判断であると同時に、権力的な位置づけ行為でもある。ロバート・プロクター(スタンフォード大学科学史教授)が提唱した「アグノトロジー(agnotology)」——無知の社会的生産・配分を研究する学問——は、無知が受動的な欠如ではなく、制度的・社会的に能動的に生産されることを示す。誰の問いが「発見」と認定され、誰の問いが「無知の露呈」とされるかは、純粋に認識論的な問題ではない。マイケル・ポランニー(英国の科学哲学者、1891–1976)の暗黙知論が示すように、知識は命題として流通する前に個人の体験的把握を経る。個人の発見的体験は集合知の劣位ではなく、地平を組み替える入口だ。
「知らなかっただけ」と言われた瞬間こそ、相手が問いを持っていないことの証かもしれない。情報を持つことと問いを持つことは、別の能力だ。「わからない」を抱え続けることは知的怠惰ではなく、地平の縁に立ち続ける誠実さである。発見とは情報格差の解消ではなく、問いの誕生だ。