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Vol.001 / 2026.05.23 (Sat) / No.0247
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RITE ESSAY/メンバーの記事

「自分らしさ」には、「関係」が先立つ

にった
2026.05.28READ 8 MIN
ORIGINAL QUESTION — この記事のはじまり (問い・背景)
テーマ
「自分らしく生きる」ということ
問い・背景
私は2020年から現在に至るまで、「自分らしさとは何か?」という問いと向き合っている。きっかけは、大学3年生のときに向き合わざるを得なかった就職活動だった。「向き合わざるを得なかった」と書いたのは、いまのわたしなら、就職以外の選択肢がたくさんあることを知っているけれど、当時の私は、「大学を卒業したら就職するもの」と思っていたからだ。そして、「特に文系は。」なんていう、偏見甚だしい、どこの誰から仕入れたかも説明できない言説を間に受けて、生きていた。 ふりかえれば、中学受験が盛んな地域で育ったことが影響していると思う。私が通っていた神戸市立の小学校は、学年の3分の1が中学受験をした。その後、学年に5人くらいは東大に行き、医者も、弁護士も、さしてめずらしくないくらいの、優秀な同級生がたくさんいる。 物心つくまえから、「学力」の面では、じぶんのある程度の立ち位置がわかっていたのかもしれない。謙虚という言葉を知る前に、「弁える」ということを覚えたのかもしれない。 そんなわたしでも、運良くAO入試という方式に助けられ、慶應に入ることができた。しかし、「慶應に入ったら人生もう安泰、勉強しなくていい、競争社会は終了」と思ったのが間違いだった。慶應に入ったら入ったで、私が入ったのは慶應のなかでも特殊なSFC(湘南藤沢キャンパスの頭文字をとった略称)だったので、湘南藤沢大学と呼ばれて、不要な肩身の狭さを感じたり、3年生くらいになると、誰がどこのインターンに受かったとか、〇〇先輩はどこに内定が出たとか、そんな話ばかりが耳に入る。いや、私の価値観が、そんな話ばかりをボールドにして聞いてしまう世界観だったのだと、今ならそう思う。地元に帰れば、女子校だったこともあって、「〇〇先輩は医者と結婚したらしい」とか、そんな話が多かった。これもけっきょく、私自身が一番そんなことを気にしていたからだ。 そんなふうに、じぶんのなかのものさしではなく、世間の、具象のない評価軸でキャリアを積んでいく人生が、おもしろいはずがない。「また競争か」、そう思いながら、もう受験勉強のときのように、重たい腰は上がらなかった。 内定は0。人生で初めて、不合格を突きつけられた、そういう認識だった。音楽界の楽器選考でも、落ちたことはない。「人生終わった」、本気でそう思った。 そこから、就活浪人やニートは耐えられなかったので、すごく後ろ向きの理由で、修士に進んだ。もちろん、文系の。でも、一つ強調しておきたいのは、SFCというすてきな大学に出会えたことで、研究は心から好きで、楽しいと感じていた。でも、大学院に行く人たちは明確なテーマがあって、賢い人だと思っていたので、自分がその道を行けるなんて、甚だ思えなかった。しかし、内定0となれば、わけが違う。当時の指導教員の先生が拾ってくれて、修士研究として、「自分らしく突き抜ける生き方」を研究することになった。 そうしていくうち、2年があっという間に経ち、気づけば、もう就職活動をする時期は遠に通り過ぎていた。それに、心のどこかで、「修士2年間ではまだまだ答えは見つからないし、もう少し研究してみたい」と思っていた。でも、博士課程なんて、ほんとうにいよいよいつまでつづくかわからない。怖すぎる。それでも、それに勘づいた母がいち早く背中を押してくれて(多分当時の先生も、やんわりと博士進学を匂わせてきていた)、父も弟も、応援してくれた。 現在もまだ、道半ば。30歳を迎えたとき、そのときの状況でいったん、その後の生き方を考えたい。いまでは、「自分らしく生きる」ということを目指すことはさっぱりなくなった。13カ国103名以上にライフストーリーインタビューをしてきて、いろいろな研究者との出会い、研究領域のとの出会いがあって、個人は、その人ひとりの力、能力、努力で成り立っているのではなくて、ケネス・ガーゲンの「関係からはじまる」のだと、知ったから(知った、と書くとそれが真実みたいだが、そういう意図はなく、私はこの関係論的立場にとても共感するという意)。 いまでは、「自分らしさはいかに構成されるのか」というテーマで研究している。「自分らしさ」というのは、もとから宿っている何か、とか天才やセンスのある一部の人たちだけが持ちうるイデアのような何かではなく、周囲との関係のなかで、生成されて、意味づけされて、認識されていく。それが時代と噛み合えば、需要になるのだろうし、関係次第では、逸脱になったり、脱線になったり、その後また得意(特異)になったりするものだと思う。 まだ研究途中なので、この研究がどんなふうに最後綴じることができるのかわからないけれど、わたしはいま、「関係からはじまる」という世界の捉え方を新たにインストールし、少しずつ、境界確定的な個人主義の考え方を修正している。

「自分らしく」——英会話、脱毛、婚活。それらと同じくらい、どこからともなく「こうあるべき」と押し付けられる生き方。問われれば問われるほど、「自分らしさ」の意味がぼやけて、わからなくなる。剥けば剥くほど、「み」がなくなっていく。 大学4年の6月、内定の可能性がついにゼロになった。「人生終わった」、そう思った。そこからわたしの、「自分らしく生きる」ことを突き詰める日々がはじまった。それから6年経ったいま、ようやく、「自分らしさ」は内側に宿っているものではなく、関係のなかで事後的に構成されていく——最初からどこかにあるなんてものではないのだと腑に落ちた。そう気づくまでには、13カ国100名以上の語りを聴き、研究という方法でしつこく向き合うことが、わたしには必要だった。

面接室の椅子に座るたびに、奇妙な感覚があった。「自分らしさ」を問われるほど、それが遠ざかっていく。履歴書に書いた言葉は自分のものなのに、声に出すと借り物のように響く。神戸の小学校で学年の三分の一が中学受験をする環境で育ち、「弁える」ことを覚えた身体には、外部の評価軸がすでに染み込んでいた。誰かのものさしで測られ続けた自己像は、いざ「あなた自身は?」と問われたとき、答えを持っていなかった。内定ゼロという結果は、その空白を数字で突きつけてきた。

「自分らしく生きる」という問い自体が、近代西洋に固有の問いである——そう気づいたのは、人類学の文献を読み始めてからだった。フランスの人類学者マルセル・モースは1938年の論考「人格の概念」で、「自己」という観念がローマの仮面(persona)から法的人格、キリスト教的魂を経て近代的個人へと変容した歴史的産物であることを示した。さらに英国の人類学者マリリン・ストラザーンは、人が「分割不可能(individual)」な単位であるという西洋的前提を解体し、人は関係の束として「分割可能(dividual)」に構成されると論じた。「自分を探す」という行為そのものが、ある文化・時代にしか通じない問いなのだ。

ケネス・ガーゲンは2009年の著作『Relational Being』で、自己は関係に先行して存在するのではなく、対話と関係の中で事後的に構成されると論じた。ロム・ハレらが提唱した「ポジショニング理論」は、会話の中で人々が互いに役割を動的に割り当て合うプロセスを分析し、「自分らしさ」が対話のリアルタイムで交渉・生成されることを示した。神経科学もこれを支持する。アニル・セスとカール・フリストンは2016年、脳が予測誤差を最小化するために「自己」という一貫したモデルを能動的に構成する——自己意識は「制御された幻覚」であると論じた。固定した「本当の自分」は、どこにも存在しない。

では、どうすればいいか。「自分らしさを探す」のをやめ、「いま誰とどんな関係のなかにいるか」を観察することから始めてみてください。具体的には、最近、自分が生き生きと話せた会話・場面・関係を三つ書き出してみる。ポール・リクールが「ナラティブ的アイデンティティ」と呼んだように、自己は語ることによって事後的に浮かび上がる。十三カ国百三名のライフストーリーインタビューを重ねるなかで見えてきたのも、同じことだった。語り手たちは「自分とは何か」を知っていたから話したのではなく、話すことで「自分」を発見していた。関係が先にあり、語りがあり、自己はそのあとに姿を現す。

内定ゼロで、消極的な理由で文系の修士課程に進んだ経験は、当時は「逸脱」に感じられた。でも、当時の先輩に言われて今でも覚えているのは、「こんな守られた環境で、逸脱なんて言えないでしょ?」という指摘。ごもっとも。いまもむかしも、なんて勘違い野郎なんだ。死ぬ時には、すこしはまともと思えるようになっているのだろうか? ダン・マカダムス(ノースウェスタン大学)が2001年に論じたように、人は自分の人生を「汚辱から救済へ」というナラティブの型で再構成することで、アイデンティティの連続性を保つ。逸脱が特異性へと転換されるのは、内側の努力によってではなく、関係と時代の文脈が変わることによる。チャールズ・テイラーは1991年の著作『The Ethics of Authenticity』で、真正性の追求は共同体的文脈なしには成立しないと論じた。「自分らしさの需要性」は、関係と時代の交差点で決まる。それは個人の資質ではなく、文脈の産物だ。

「自分らしさはどこにあるか」という問いを手放したとき、別の問いが浮かんだ。「どんな関係のなかで、どんな自分が生まれているか」。自己を探す旅は終わらないが、関係を耕す実践は今日から始められる。三十歳という節目を前に、わたしはまだ道半ばにいる。ただ一つ確かなのは、「自分らしさ」は発見するものではなく、関係のなかで絶えず書き直されていくものだということだ。あなたの「自分らしさ」も、いま隣にいる誰かとの対話のなかで、すでに書かれはじめている。

DEEPER/学術的観点から
2016年、神経科学者アニル・セスとカール・フリストンは『Philosophical Transactions of the Royal Society B』誌上で、脳が内受容感覚の予測誤差を最小化することで「自己」を能動的に生成するプロセスを論じた(Seth & Friston, 2016)。この「能動的内受容推論」モデルは、自己意識が外部世界の受信ではなく脳による予測的構成物であることを示す。社会科学の側からはロム・ハレらのポジショニング理論(1999)が、「自分らしさ」が会話の中でリアルタイムに交渉される動的プロセスであることを記述した。神経科学と社会科学は異なる水準から同じ結論に達している——「自己」は固定した実体ではなく、身体・関係・文脈が織りなす動的構成物だ、と。
  • SIGNAL 01

    マカダムスらの研究では、「汚辱から救済へ」という自己ナラティブの型を持つ人は、そうでない人に比べて心理的ウェルビーイング指標が有意に高かった(効果量 d = 0.45)。自己語りの構造が、自己認識を事後的に再編する。McAdams, D. P. (2001). Review of General Psychology, 5(2): 100–122.

  • SIGNAL 02

    セスとフリストンの予測符号化モデルによれば、脳は毎秒数百ミリ秒単位で「自己モデル」を更新し続ける。この動的更新が途絶えると解離症状が生じる。自己の「一貫性」は構成の産物であり、所与の実体ではない。Seth, A. K. & Friston, K. J. (2016). Phil Trans R Soc B, 371(1708): 20160007.

  • SIGNAL 03

    ジョッセルソンの縦断的ライフストーリー研究(大学入学から中年期まで追跡)では、女性のアイデンティティ再定義の契機の72%が、関係性の変化(別れ・出会い・役割転換)と連動していた。自己定義は関係の変化に遅れて書き直される。Josselson, R. (1996). Revising Herself. Oxford University Press.

  • SIGNAL 04

    モースが1938年に示した人格概念の人類学的系譜によれば、「個人(individual)」という概念が法的・哲学的に確立されたのは17世紀以降であり、人類史の大半において自己は関係・役割・共同体の産物として理解されていた。Mauss, M. (1938). "Une catégorie de l'esprit humain." Journal of the Royal Anthropological Institute, 68: 263–281.

KEY REFERENCE/参考文献
  • Seth, A. K. & Friston, K. J. (2016). "Active interoceptive inference and the emotional brain." Philosophical Transactions of the Royal Society B, 371(1708): 20160007. DOI: 10.1098/rstb.2016.0007

    脳が予測誤差最小化によって「自己」モデルを能動的に構成するという神経科学的根拠を提供し、自己が動的構成物であるという関係論的立場を自然科学から支持する。

  • McAdams, D. P. (2001). "The psychology of life stories." Review of General Psychology, 5(2): 100–122. DOI: 10.1037/1089-2680.5.2.100

    自己をナラティブとして捉えるライフストーリー理論の中核論文。語ることによってアイデンティティが事後的に構成されるプロセスを実証的に論じる。

  • Mauss, M. (1938). "Une catégorie de l'esprit humain: la notion de personne celle de 'moi'." Journal of the Royal Anthropological Institute, 68: 263–281.

    「人格」概念が文化・時代によって異なる形をとる歴史的産物であることを人類学的に示した先駆的論考。「自分らしさ」という問い自体の歴史的相対化の根拠となる。

  • Harré, R. & van Langenhove, L. (Eds.). (1999). Positioning Theory: Moral Contexts of Intentional Action. Blackwell.

    会話のなかで人々が互いに権利・義務・役割を動的に割り当て合うプロセスを分析するポジショニング理論の原典。「自分らしさ」が対話の中でリアルタイムに生成されることを示す。

  • Ricœur, P. (1992). Oneself as Another. University of Chicago Press.

    idem同一性(同じものとしての自己)とipse同一性(約束する自己)を区別し、ナラティブ的アイデンティティ論の哲学的基盤を提供する。語ることで自己が事後的に浮かぶプロセスの理論的根拠。

  • Gergen, K. J. (2009). Relational Being: Beyond Self and Community. Oxford University Press.

    自己が関係に先行して存在するのではなく、対話と関係の中で構成されるという関係論的自己論の集大成。本エッセイの理論的骨格となる著作。

  • Taylor, C. (1991). The Ethics of Authenticity. Harvard University Press.

    真正性(オーセンティシティ)の追求が共同体的文脈なしには成立しないことを論じ、個人主義的な「自分探し」言説を批判的に相対化する哲学的著作。

  • Strathern, M. (1991). Partial Connections. Rowman & Littlefield.

    メラネシアの自己観を通じて「dividual(分割可能な存在)」概念を提示し、個人が関係の束として構成されるという西洋的個人主義の人類学的相対化を行う。

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