ベルリンのホロコースト記念碑の前に立ったとき、言葉はすぐに出た。「これは絶対悪だった」「二度と繰り返してはならない」。石碑の冷たさが足裏から伝わってくる、その場で、私は迷わず断言できた。ところが帰国後、スマートフォンの画面に流れてくるガザの映像を前にすると、声が止まった。同じ「大量の死」を見ているはずなのに、指が止まり、言葉が出てこない。この非対称な身体反応——一方では声が出て、もう一方では沈黙する——は、道徳的な感受性の差ではない。それは、道徳的判断が時制によって構造的に変形されるという、私たちが気づいていない問題の症状である。
ニュースの映像を前にして、私たちはときどき言葉を失う。 瓦礫の中から運び出される人、泣いている子ども、逃げ場を失った家族。そこに暴力があることは見えている。多くの人が死んでいることも知っている。けれど、それを何と呼ぶべきかを考えた瞬間、言葉は急に重くなる。 ホロコースト記念館の前で言葉が出て、ガザの映像の前で言葉が止まる。同じ「大量の死」を前にしながら、この非対称な反応はどこから来るのか。過去の暴力は結果が確定し、加害者・被害者・傍観者の役割が歴史的に固定されている。だから道徳的判断のコストが低い。現在進行形の暴力では役割が流動的で、判断すること自体が政治的行為になる。「絶対悪」という語は、終わったときにだけ安全に発話できる——この構造に、私たちはほとんど気づかないまま生きている。
「ジェノサイド」という語は、ラファエル・レムキンが1944年に造語した。ポーランド系ユダヤ人の法学者だった彼は、ナチスによる占領統治を分析した著作『Axis Rule in Occupied Europe』の中でこの概念を初めて定式化した。1948年の国連条約によって、この語は法的介入義務を伴う概念になった。以来、暴力を「ジェノサイド」と呼ぶことは、条約上の行動義務を発動させる。アルメニア・ルワンダ・ボスニアの各事例で、国際社会がこの語を公式に認めるまでに数年から数十年を要した事実は、命名の遅延が無知ではなく、意図的なコスト計算の結果であることを示している。
カール・ヤスパースは1946年の著作『罪責の問題(Die Schuldfrage)』で、ドイツ人の戦争責任を四層に分解した。刑事的・政治的・道徳的罪責に加えて、彼が「形而上学的罪責」と呼んだのは、暴力を止められなかった者すべてが負う連帯責任である。傍観者は「知らなかった」ではなく「止めなかった」という事実によって問われる。スタンリー・カヴェルが「道徳的発声(moral voice)」論で示したように、人は道徳的に正しいと知っていても声を上げられないことがある。それは「知らないから」ではなく、「語る言語ゲームのルールが未確定だから」である。現在の暴力への沈黙は、この言語的未確定性の産物だ。
現在の暴力を前にしたとき、私たちに必要なのは、拙速な断定ではない。しかし、慎重さを理由に命名を先送りし続けることでもない。 ひとつの問いがある。 この出来事が五十年後の教科書に載るとしたら、そこには何と書かれるのか。 この問いは、現在を未来から裁くためのものではない。むしろ、いま自分がどの証言を信じ、どの証言を疑い、どの死を遠くに置いているのかを照らし返すための問いである。
サマンサ・パワー(元米国連大使、ハーバード大学)の実証研究は、1994年のルワンダ虐殺中に米国務省が「ジェノサイド」という語の使用を公式に禁じ、代わりに「ジェノサイドの行為(acts of genocide)」という表現を使うよう内部指示していた事実を外交電報から明らかにした。驚くべきことは、この指示が現場の外交官ではなく、法務部門と広報部門の協議によって決定されたという点だ。「二度と繰り返さない」という制度的言語は、追悼の形式を整えるほどに、現在の類似事例への感受性を鈍らせる逆説的な装置になりうる。記憶の制度化とは、過去を悼むと同時に、現在を封じるプロセスでもある。
「二度と繰り返さない」という言葉は、繰り返されるたびに更新されてきた。アルメニアの後にホロコーストが、ホロコーストの後にルワンダが、ルワンダの後にボスニアが起きた。この反復が示すのは、記憶が現在の暴力を止める装置として機能していないという事実である。記憶は現在の暴力を止めるためにあるのではなく、過去の暴力を道徳的に整序するためにある——そう割り切った瞬間に、「二度と繰り返さない」という言葉は、次の繰り返しへの免罪符に変わる。問いはまだ開いている。記憶は誰のためにあるのか。過去を悼むためか、現在を止めるためか。