プロジェクトが終わった翌週、あの人が辞めた。引き継ぎ資料には手順が書かれていたが、なぜその判断をしたのか、どの局面で誰が場を立て直したのか、何も残っていなかった。スキルが消えたのではない。その人が何をしたかを語る言葉が、組織に存在しなかったのだ。構想・設計・推進・ファシリテーション——これらの貢献は、成果物の陰に隠れ、評価されないまま個人の記憶とともに去っていく。この喪失は制度の問題である前に、認識の問題だとフランス哲学は教えてくれる。
プロジェクトの終盤、会議室の空気が変わった瞬間を覚えているだろうか。誰かが一言発し、膠着した議論が動き出した。その人は議事録に名前を残さなかったかもしれない。しかし組織はその瞬間に救われていた。こうした貢献——ファシリテーション、構想の種まき、場の設計——は、成果物に変換されない分だけ、評価の網の目をすり抜ける。科学技術社会論者スーザン・リー・スター(サンタクルーズ校)は1999年、こうした貢献を「見えない仕事(invisible work)」と名づけ、それが組織機能の基盤を支えながら体系的に無視されると論じた。
「見えない仕事」が見えない理由は、評価制度の設計ミスだけではない。哲学者ポール・リクール(1990年代、コレージュ・ド・フランス)は、人の行為が「帰属可能な貢献」として認識されるためには、「誰が、どの局面で、何を判断し動いたか」という物語的記述が不可欠だと論じた。物語的アイデンティティ(narrative identity)の概念である。スキルマップや評価シートは行為を点として記録するが、物語は行為を文脈の中に位置づける。組織が能力を蓄積するとは、実はこの物語を共有財産にする営みに他ならない。
個人に宿る貢献を組織の能力へと変換する試みは、経営学でも中心的な問いであり続けた。カリフォルニア大学バークレー校のデイヴィッド・ティースらが1997年に提唱したダイナミック・ケイパビリティ論は、組織が環境変化に応じて能力を感知・捕捉・再構成する動態を描く。重要なのは、能力は「人」ではなく「ルーティン」に埋め込まれるという視点だ。誰かが去っても、その判断のパターンが手続きとして組織に残っていれば、能力は継承される。しかしルーティンに変換されるのは、繰り返し語られ、検証され、共有された行為だけである。
では実際に何ができるか。一つの有効な介入は、プロジェクト終了後に「貢献の物語セッション」を設けることだ。成果報告ではなく、「誰がどの局面でどう動いたか」を時系列で語り合う場である。社会学者エティエンヌ・ウェンガー(1998年)が描いた実践コミュニティ(Community of Practice)の知見によれば、能力の継承は公式マニュアルよりも、熟練者と新参者が同じ文脈で語り合う「周辺的正統参加」を通じて起きる。物語セッションはこの参加を意図的に設計する仕掛けであり、次世代の担い手が「見えない仕事」の意味を身体で理解する機会となる。
貢献を可視化するインフラは、ツール・制度・文化の三層が揃って初めて機能する。測定だけでは不十分で、対話と学習が循環する仕組みが必要だ。コーエン&レヴィンタール(1990年、コロンビア大学・ペンシルベニア大学)が提唱した吸収能力(Absorptive Capacity)の概念は、組織が外部知識を取り込む力は既存の内部知識の厚みに依存すると示す。同じ論理は内部にも適用できる。プロジェクト経験を物語として蓄積し続けた組織は、次のプロジェクトで新たな貢献を「読み取る」感度が高くなる。可視化は一度きりの制度設計ではなく、組織の認識能力そのものを育てる継続的な実践である。
人材が流出するとき、組織が失うのはスキルではなく、語られなかった物語だ。逆に言えば、プロジェクトの経緯を「誰が何をしたか」という物語として記述し共有し続ける組織は、特定の個人に依存せず能力を蓄積できる。貢献の可視化とは、測定の問題ではなく、物語を語る権利を全員に与える制度設計の問題である。