電車の中でスマートフォンを握りながら、自分好みのコンテンツが次々と流れてくるのを眺めているとき、人は何かを失っている感覚を持ちます。摩擦がない。驚きがない。自分の輪郭が溶けるような出来事がない。AIが最適化するフィードバックループの中では、世界は自分の鏡になっていきます。それでも人は、見知らぬ他者に心を奪われ、眠れない夜を過ごし、自分が何者であったかを問い直す経験をします。その経験に名前をつけるとすれば、愛と呼ぶほかありません。効率でも合理でもなく、むしろそれらを根底から揺さぶる力として、愛を問い直す時機が来ています。
デカルトが1637年『方法序説』で精神と身体を切り離したとき、感情は認識の外縁へと追いやられました。カントが1781年『純粋理性批判』でア・プリオリな理性の構造を打ち立てたとき、主観は普遍的理性の鋳型に収められました。この系譜の末端に、私たちは立っています。AIの設計思想もまた、この合理主義的遺産の上に築かれており、感情は「ノイズ」か「最適化すべきパラメータ」として扱われます。しかし哲学の内部にも、別の声がありました。スピノザは1677年『エチカ』で「コナトゥス(conatus)」——存在が自己の力を増大させようとする根本的衝動——を論じ、感情を理性の下位に置くことを拒みました。
人類学者マルセル・モースは1925年『贈与論』において、贈り物には返礼の義務が宿ると論じました。互酬性(reciprocity)は等価交換ではなく、非対称な負債の循環によって社会的絆を生み出します。愛もまた、この非等価性の中にあります。愛する者は相手に見返りを計算しない。むしろ計算が始まった瞬間に、愛は別の何かへと変質します。経済学者サミュエル・ボウルズとハーバート・ギンティスが2011年『A Cooperative Species』で示したように、人間は純粋な自己利益計算を超えた「強い互恵性(strong reciprocity)」を持ち、規範を守らない他者を自己犠牲を払ってでも罰する行動を跨文化的に示します。愛の非合理性は、人間の社会性の深層に根ざしています。
哲学者シモーヌ・ヴェイユは1940年代の著作『重力と恩寵』で、愛の本質を「注意(attention)」と呼びました。それは自己の欲望・期待・投影をすべて停止し、相手の存在をそのままに受け取る行為です。この定義は、AIが提供する体験と根本的に対立します。AIのフィードバックループは自己の関心を増幅し続けますが、ヴェイユ的な注意は自己の関心を一時的に消去することを要求します。エマニュエル・レヴィナスは1961年『全体性と無限』で、他者の「顔(face)」が自己の全体性を破り、応答の責任を召喚すると論じました。愛とは自己の閉鎖性への侵犯であり、それは不快であり、制御不能であり、それゆえに倫理的です。AIエコーチェンバーが遮断するのは、まさにこの侵犯の経験です。
空間的な比喩で考えてみてください。人はそれぞれ、世界という広大な真理の空間の中に、経験と学びによって広がり、忘却によって縮む平面を持っています。ねじれた平面を持つ者とは交わらず、重なりの大きい者とは深く分かり合える。ここで愛は特異な事態を引き起こします。愛は自分の平面を相手の平面に重ねるために、自らの領域を意図的に消去しようとする自己破壊の衝動です。本能的な愛——理由を問わず他者に引き寄せられる直感的な引力——もまた、この自己変質の始まりを予告します。しかしこの破壊は同時に再生でもあります。自分だけでは到達できなかった領域へと、他者を通じて踏み込む行為だからです。ただし、この自己破壊が生き過ぎると、社会から切り離された二人だけの閉鎖空間が生まれ、愛は孤立の砦になります。苦しみながら世界と繋がり続けること、それが愛を生きることの条件です。
多様性という名の下で、現代社会は各個人の主観を独立した正当な世界として承認してきました。しかしその行き着く先は、平面どうしが平行に並び、交わることのない秩序の崩壊です。愛の自己破壊的な動きは、この崩壊への歯止めになりえます。キャロル・ギリガンは1982年『もうひとつの声』でケア倫理(ethics of care)を提唱し、愛・ケアを私的感情ではなく公共的・政治的原理として再定位しました。他者への応答性を道徳の中心に据えることは、自律した個人の集積としての社会モデルへの根本的な異議申し立てです。愛が社会変革の軸になりうるとすれば、それは愛が「自分を変えてでも他者と繋がろうとする」という、合理主義が最も苦手とする運動を体現しているからです。
デカルトが切り離した感情は、実は切り離せなかったのです。理性は感情の上に浮かぶ筏ではなく、感情という海の中を泳いでいます。愛は非効率であり、非対称であり、自己を傷つけます。しかしその傷口からこそ、他者が入ってくる。AIが自己の鏡を磨き続ける時代に、愛だけが鏡を割る力を持っています。