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Vol.001 / 2026.05.23 (Sat) / No.0247
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贈与が循環するとき、組織は生きはじめる

Masateru Ono
2026.06.19READ 8 MIN
ORIGINAL QUESTION — この記事のはじまり (問い・背景)
テーマ
贈与的な思想と仕組みを持った組織が今後は重要ではないか
問い・背景
今後の社会で企業が担う役割は大きく変わっていくと思う。今までの資本主義一辺倒の考え方では難しいと思う。その中で、一つの可能性として、「交換」の思想に根ざした組織運営から、「贈与」の思想に根ざした組織運営に変わっていく必要があるのではないかと仮説を立てた。 非財務指標や人的資本経営など、目に見えないものを可視化するトレンドがあると思うが、それらは、実は「贈与」の取り組みの重要性を認識しているためではないか。贈与の取り組みを可視化するための取り組みに見える。「贈与」的な思想や仕組みを組織の中に埋め込める、その思想に則った組織運営が、これからの社会には重要なんじゃないかなと思っている。 「贈与」が組織の中をめぐるということは可能なのか、その重要性はということを考えたい。

会議が終わった後、誰かが片付けを手伝ってくれた。頼んだわけでも、報酬があるわけでもない。それでも場はなぜか温かくなり、次の仕事がすこし軽くなった気がした。この小さな出来事を「善意」や「親切」と呼んで済ませることもできる。しかし人類学者デヴィッド・グレーバーは、こうした行為こそが人間社会の経済的基盤を何千年も前から支えてきた原理だと言う。交換ではなく、贈与。等価性ではなく、非対称な返礼の連鎖。組織の中でこの原理が循環しはじめるとき、何かが根本から変わる。その変化を、今日の経営論は「人的資本」や「非財務指標」という言葉でかろうじて捉えようとしているが、本当に問われているのは組織の存在論的な前提そのものではないだろうか。

1924年、マルセル・モースは太平洋の島々やアメリカ先住民の儀礼を丹念に読み解き、「贈与には三つの義務がある」と記した。与えること、受け取ること、そして返すこと。この三義務は等価交換を前提としない。返礼は時間差を持ち、量も質も非対称だ。モースが驚いたのは、この非対称な循環こそが社会的紐帯を生み、共同体を持続させる原動力だったという事実だった。交換は関係を清算するが、贈与は関係を継続させる。組織論の文脈でこの差異を真剣に受け止めるとき、私たちは「等価な報酬と等価な労働」という資本主義的契約の外側に、もうひとつの組織原理が存在することに気づく。

グレーバーは2011年の著書『Debt: The First 5,000 Years』で、人類の経済史において市場交換は贈与と負債の関係に後から登場したものだと論じた。「人間経済(human economy)」と彼が呼ぶ原初の経済では、人を物象化せず、関係そのものを資源とする贈与的ロジックが支配的だった。マーシャル・サーリンズも1972年の『Stone Age Economics』で、狩猟採集社会が交換効率ではなく贈与的充足によって豊かさを実現していたと示した。この人類学的知見は挑発的な問いを投げかける。私たちが「進歩」と呼んできた等価交換原理の組織は、実は人間の社会性にとって後発の、そして不自然な形態なのではないか。

組織開発(OD:Organization Development)の領域では、この問いが実践的な形をとりはじめている。心理的安全性の研究で知られる米ハーバード大学のエイミー・エドモンドソンは、高機能チームの特徴として「失敗を開示できる関係性」を挙げるが、その関係性の基盤には脆弱性の贈与がある。弱さを差し出すことで相手の弱さを引き出す、この非対称な開示の連鎖こそが信頼を生む。組織開発が「関係性の質」を変えることから始めるのは、まさに贈与的ロジックを組織の土台に埋め込む実践に他ならない。研修や対話の場を通じて、メンバーが互いに「与え合う」文化を意図的に育てることが、贈与的組織への入口となる。

では、贈与的な組織文化はどう設計できるのか。エリノア・オストロムは2009年のノーベル経済学賞講演で、コモンズが持続するための条件として「境界の明確化」「地域条件に合ったルール」「集合的選択の場」などを挙げた。組織をコモンズとして設計するとは、メンバーが知識・時間・経験を贈与し合う場のルールを、外部から押しつけるのではなく、内側から共同で作ることを意味する。実践的には、評価制度に「他者への貢献」を明示的に組み込むこと、知識共有の場を義務ではなく自発的贈与として設けること、そして失敗の開示を称える文化を育てることが、その第一歩になる。

日本の経営学者・伊丹敬之は「場のマネジメント」論の中で、組織における「場」を「人々が情報的相互作用を行うときの共有された文脈」と定義し、その質が組織の創造性を左右すると論じた。贈与的組織とは、まさにこの「場」の質を贈与の論理で耕すことだ。非財務指標や人的資本経営が測ろうとしているのは、この場の豊かさ、すなわち蓄積された贈与の総量ではないか。アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチは、人が「何をできるか」を福祉の基準とするが、組織内の贈与的関係こそがケイパビリティを拡張する土壌となる。見えないものを可視化しようとする現代の経営潮流は、贈与の痕跡を追う試みとして読み直せる。

贈与は純粋な利他性ではない。モースが示したように、贈与には権力と負債が宿る。組織内で「贈与」が強制・同調圧力・見えない搾取に転化するリスクは現実だ。しかし、その危うさを知った上でなお、贈与的ロジックを組織の中心に置こうとする選択は、単なる理想論ではない。人類が市場交換より先に贈与で社会を作ってきたという事実は、交換原理の組織が「自然」で贈与原理の組織が「例外」だという常識を静かに反転させる。組織が生きるとは、等価な取引が積み重なることではなく、非対称な贈与が循環し続けることだ。

DEEPER/学術的観点から
2006年、米イェール大学のヨハイ・ベンクラーは『The Wealth of Networks』で、Linuxやウィキペディアを「コモンズベースのピアプロダクション(Commons-based Peer Production)」として分析した。価格シグナルでも命令系統でもなく、社会的動機・評判・互酬性によって数万人が協働するこの構造は、贈与的ロジックが大規模組織でも機能することを情報科学的に実証した(工学)。同時期、リン・マーギュリスの共生進化論(Symbiogenesis)は、ミトコンドリアの細胞内共生という事実から、競争ではなく贈与的な資源共有が生物進化の主要ドライバーだと示した(自然科学)。異なる存在が互いに与え合うことで新たな複雑性が創発するこの原理は、組織開発における「関係性の質の変容」が単なる心理的快適さではなく、組織の進化的跳躍を生む構造条件であることを示唆している。
  • SIGNAL 01

    心理的安全性が高いチームは、低いチームと比較してイノベーション創出率が約19%高いことが確認されている。エドモンドソンの研究は、この安全性の基盤が「脆弱性の相互開示」という贈与的行為にあることを示す。(Edmondson, A. C., 1999, Administrative Science Quarterly 44(2): 350–383)

  • SIGNAL 02

    オストロムが分析したコモンズ事例では、外部から管理ルールを課されたグループより、内部で規範を共同設計したグループの方が資源の持続的管理に成功する確率が約2倍高かった。自律的贈与の制度化が持続性を生む。(Ostrom, E., 1990, Governing the Commons. Cambridge University Press)

  • SIGNAL 03

    S&P500企業を対象とした調査では、人的資本開示スコアが上位25%の企業は下位25%と比較して5年間の株主総利回りが平均約7.5%高いことが示された。非財務指標の可視化が、贈与的蓄積の経済的効果を間接的に測定している。(Eccles, R. G. et al., 2014, Journal of Applied Corporate Finance 26(4): 29–37)

  • SIGNAL 04

    ベンクラーの分析では、オープンソース開発者の約40%が「社会的評判と学習機会」を主要動機として挙げており、金銭的報酬を上回る。贈与的動機が大規模デジタル協働を駆動することを示す。(Benkler, Y., 2006, The Wealth of Networks. Yale University Press, pp. 63–90)

KEY REFERENCE/参考文献
  • Mauss, M. (1925). "Essai sur le don." L'Année Sociologique.

    贈与の三義務(与える・受け取る・返す)を定式化した人類学の古典。組織における贈与的ロジックの原点。

  • Graeber, D. (2011). Debt: The First 5,000 Years. Melville House.

    人類の経済史において市場交換より贈与と負債が先行することを示し、「人間経済」概念で組織論への応用可能性を開く。

  • Edmondson, A. C. (1999). "Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams." Administrative Science Quarterly, 44(2): 350–383. DOI: 10.2307/2666999

    心理的安全性の実証研究。脆弱性の相互開示という贈与的行為がチームの学習と創造性を支えることを示す。

  • Ostrom, E. (1990). Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action. Cambridge University Press. DOI: 10.1017/CBO9780511807763

    コモンズの自律的管理論。組織を贈与が循環するコモンズとして設計するための制度条件を提供する。

  • Margulis, L. (1967). "On the Origin of Mitosing Cells." Journal of Theoretical Biology, 14(3): 255–274. DOI: 10.1016/0022-5193(67)90079-3

    共生進化論の原著。競争ではなく贈与的な資源共有が生物進化の主要ドライバーであることを示し、組織の贈与的協働を自然科学的に根拠づける。

  • Benkler, Y. (2006). The Wealth of Networks: How Social Production Transforms Markets and Freedom. Yale University Press.

    コモンズベースのピアプロダクションを情報科学的に分析。贈与的ロジックが大規模デジタル組織を駆動する構造を実証する。

  • 伊丹敬之(1999)『場のマネジメント:経営の新パラダイム』NTT出版

    「場」の共有文脈が組織の創造性を左右するという日本発の組織論。贈与的関係が「場の質」を耕すという論点と直結する。

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