会議が終わり、エレベーターを降りた瞬間、ふと思うことはないでしょうか。「あの資料に書かれた地域の課題、うちの会社なら何かできるのに」と。その感覚は、組織の論理と社会の問いがぶつかる場所から生まれます。大企業でも、自治体でも、NPOでも、大学でも——何らかの組織に属して働く人なら、誰もがこの感覚を知っているはずです。それは弱さでも逸脱でもありません。組織の内側にいながら外の世界を感じ取る、その緊張こそが、社会と組織をつなぐ最初の回路です。この記事は、組織を飛び出すことではなく、組織の中に立ちながら社会へと手を伸ばす個人の実践について書きます。
朝、名刺入れをポケットに入れるとき、私たちは組織の一員としての自分を身にまとう。その名刺が持つ信用、その組織が持つ顧客接点や地域との関係、長年かけて積み上げられた制度や資金——これらは個人では到底持てない資源です。スタートアップの俊敏さや個人の自由を羨む声は多いけれど、組織に属する個人だからこそ使える資源があることは、あまり語られません。問いはここから始まります。その資源は、今どこで眠っているのか。
文化人類学者のアーノルド・ファン・ヘネップは1909年に「通過儀礼(rites of passage)」を論じ、人が境界を越えるとき、内でも外でもない「閾(しきい)の状態」を通過すると記しました。後にヴィクター・ターナーは1969年、この閾の状態を「リミナリティ(liminality)」と呼び、創造と変革が最も起きやすい場として積極的に意味づけました。組織に属しながら外部のコミュニティや地域課題と接続する個人は、まさにこの閾に立っています。それは宙ぶらりんな不安定さではなく、二つの世界をつなぐ媒介の位置です。
社会学者のロナルド・バートは、ネットワーク上で互いに接続されていない集団のあいだに立つ個人が、情報と革新の優位を得ることを実証しました。彼が「構造的空隙(structural holes)」と呼ぶこの位置は、大企業の内部でも、組織と地域のあいだでも生じています。閉じた組織の中では同質な情報が循環し、外部の問いは届きにくい。しかし一人の個人が社内外を行き来することで、眠っていた資源と外の課題が初めて出会います。葛藤はその接触面で生まれるものであり、むしろ接続が起きている証拠です。
では、実際にどう動けるのか。まず、今いる組織の資源を「社会の問い」から眺め直してみてください。顧客データ、地域との信頼関係、会議室、予算の一部、同僚の専門性——それらは社内の論理だけで使われていないでしょうか。次に、社外の一つのコミュニティや課題と、小さく接続してみる。NPOの勉強会に顔を出す、地域の困りごとを聞く、異業種の人と話す。その行き来が習慣になるとき、あなたは組織と社会のあいだに橋をかける実践者になっています。
経営学者のポール・ディマジオとウォルター・パウエルは1983年、組織が外部環境への適応よりも内部の正当性維持を優先し、互いに似通っていく「制度的同型化(institutional isomorphism)」を論じました。この慣性の中で、逸脱に見える個人の越境行動は実はコストとして処理されがちです。しかし同時に、制度の内側から変革を起こす「制度的企業家(institutional entrepreneur)」という存在も理論化されています。組織の文法を知り、信用を持ち、関係性を持つ内部の個人だからこそ、外部の問いを組織の言語に翻訳できる。これは特別な才能ではなく、閾に立ち続ける実践の積み重ねです。
組織を捨てなければ社会を変えられない、という思い込みを、今こそ手放してもいい。名刺の裏にある資源を社会に開く個人が増えるとき、組織そのものが社会とつながる回路を持ち始めます。閾に立つことは、孤独な逸脱ではなく、組織と社会が出会う場所をつくる行為です。