← RITE トップへ 書き手になる →

身体性と近代主観

私たちはいつから、頭ばかりで考えるようになったのだろう。皮膚に触れる空気、ふと感じる気配、身体に降りてくる勘。一度ふやけてしまった「身体で生きる」感覚を、もう一度取り戻していくための問いが集まっています。

THE INDEX — このテーマの記事

記事一覧 ← 7 テーマへ

望望み

身体知と感覚はどう回復されうるか

2026.09.06
身体知と感覚はどう回復されうるか

両足の安心は、感覚を眠らせていた

武道、武術などの世界だけなのかどうかはわからないが、 両足で立つより片足の方が安定するというのは本当なのか? この不安定の安定が本当なら何故なのか? 片足の方が両足より安定するというのは、どのような状況なのか?…

三原重央
2026.08.02
身体知と感覚はどう回復されうるか

受け取ることは、すでに技法である

何事も受けとめることができたら人生を更に豊かにできるのか? 何事の受け止めるという事は可能なのか? 自分で勝手に線を引いて勝手に敵を増やすのかもしれないが、自分で勝手に線を引くというのはどういうことか?また勝手に敵を増やすとはどういうことか? 最近「観念の纏足」という事を考えた …

三原重央
2026.08.02
身体知と感覚はどう回復されうるか

思想を変えても人は変わらない——改身が改心に先行する理由

思想を変えるのではなく、身体が先に変わるとはどういうことか? わけのわからなさをぱくぱく食べるーネガティブケーパビリティ、もやもやをかかえることにどのような効能があるのか? 身体が先に理解するとは?頭で理解しようとする、頭で理解できないと納得できないという事の弊害か?…

三原重央
2026.07.23
身体知と感覚はどう回復されうるか

与えられていることに気づいた瞬間、世界は贈り物に変わる

「まずは受け取ることから」ということをよく聞く。でもそれに気がつくには「何を与えられているか」を知ることが大事。等価交換という考え方ではなく、私は与えられている存在だと気づくことで安心感が生まれるのではないか。そうすると自分が意外に気がついていないことに気がつく。人は見たいものし…

菊地 久美
2026.07.18
身体知と感覚はどう回復されうるか

スマホは、遊びの「中間領域」を埋めてしまう

乳幼児にスマートフォンによる知育系のアプリについて、実際に触れる玩具と違い、手軽で画面のなかで上手に指を動かしながら取り組んでいる幼児、非常に微笑ましいのだが、何か危機感も感じてしまう。アプリ開発者は良いと思ってつくって、飽きさせない仕組みや夢中になる仕組みを入れているのだろうか…

メンバー
2026.07.02
身体知と感覚はどう回復されうるか

鎧を脱いだとき、人は初めて前へ進める

私たちは息をするように自然とこの言葉「頑張れ」を使っていないだろうか? 励ます時、別れ際、あるいは自分自身を鼓舞する時などに使っていないか? 美徳の象徴のような言葉だと考えていないか? でも、この言葉を漢字で分解して、身体の視点で見てみると、かなり厄介な実態が見えてくるのではない…

三原重央
2026.06.09
身体知と感覚はどう回復されうるか

身体の届く距離だけが、人を動かす

世界中が繋がり合う中で、身体知を超えた世界感となり、一人の人間のもたらす影響が遠くなってしまい、世の中への無関心が広がってしまっている感覚がある。 世界は広く大きいが、一人の人間として改めてヒューマンスケールの世界感にリサイズをすることで人の行動や考え方が前向きに変化するのではな…

松場 忠
石見銀山 群言堂
2026.06.05
身体知と感覚はどう回復されうるか

重力に降伏したとき、身体はもっとも遠くへ運ばれる

私はつい先日までカミーノフランセス、スペインのカミーノという道、フランス人の道と呼ばれる道を歩いていた。そして最終的に世界の果てと呼ばれていたフィステーラ、ムシアまで行き約900kmを毎日毎日 4月25日から5月19日まで、そして1日休憩して 5月25日まで約1ヶ月間 歩き続けた…

三原重央
2026.06.02
身体知と感覚はどう回復されうるか

触れることは、文化が決めていた

「人はどのように他者へ身体を開き、不確実な接触を成立させているのか」という問いを文化人類学的視点から探究したい。挿入中心主義を周縁化できたときに起こりうる性的接触の快楽など…

メンバー
2026.06.02
身体知と感覚はどう回復されうるか

私が本を読むのではない、本が私を読む

読書には、いろんな仕方がある。そこに書かれているテキストは、著者が書いた言葉であり、何らかの意図に基づいて、執筆されている。通常の国語の授業では、著者の意図を正しく読解することが求められる。小説でも、学術書でも、エッセイでも、書き手がいる以上、「正解を探る読書」は避けられない。し…

古瀬正也
古瀬ワークショップデザイン事務所
2026.05.29
身体知と感覚はどう回復されうるか

身体が、感情より先に知っていた

身体は不思議だ。どのような姿勢、どのような態度でいるかでその状態がまったく変わってしまう。そんなほんまでっか?を探求したい。 体の姿勢と体の使い方について感じること 思うこと、例えば 顔を上に向けると嫌なことを 甘い、思い出せなくなり、嬉しいこと。楽しいことが浮かびやすくなる。し…

三原重央
2026.05.28
身体知と感覚はどう回復されうるか

うんちは、子どもが世界の境界を笑い飛ばす道具だった

保育士になって18年。 「うんち」を話題にはしゃぐ子どもがいなかった年はありません。たった一言から、他者とのあいだに満面の笑顔があふれます。 わたしも幼少期に「うんち」をあいだにゲラゲラ笑っていた記憶はありますが、その時の感覚は忘れてしまいました。 子どもにとってどんな魅力がある…

メンバー
2026.05.28
身体知と感覚はどう回復されうるか

馬は、評価しない

ユニセフの調査では、日本の子どもの精神的幸福度はOECD・EU加盟38カ国中37位。10代の死因1位は自殺だ。数字の背後に見えるのは、言語と評価に縛られた日常だ。「損か得か」「コスパが良いか悪いか」を頭で計算しながら動く子どもたち。周囲の空気を読んで本心にフタをし、常に評価にさら…

メンバー
2026.05.28
身体知と感覚はどう回復されうるか

臭いほど、自分の証明になる

人間は一般に臭いものは不快なはずだが、自分のおならが臭いとこの上なく嬉しいのはなぜか…

メンバー
2026.05.27
身体知と感覚はどう回復されうるか

非言語・身体知・非認知の経験は、人の意識変容と行動変容にどのように作用するのか

人が新しい実践を受け入れ、実際に行動を変えるとき、その理由は必ずしも「自分にとって得だから」というビジネス的な損得や欲望だけでは説明できない。また、「科学的に正しい」「データで証明されている」「専門家が認めている」というサイエンスの情報だけでも、人は十分には動かないのではないかと…

メンバー
2026.05.25
身体知と感覚はどう回復されうるか

読んで納得した知識は、まだ血肉になっていない

ミラツクが運営する「問いを、記事に変える共創メディア『RITE(ライト)』」で、一つの記事を読んだ。学術的に説明されていて、合理的で、納得もできた。なるほどな、とも思った。漢字も多く、概念中心で、頭では分かるが、身体が追いつかない。AIが作る文章は、身体がない者からの文章であるた…

古瀬正也
古瀬ワークショップデザイン事務所
2026.05.22
身体知と感覚はどう回復されうるか

手書きは時代遅れなのか、「かく」について考える

AIのある時代に入り、より「手書き」という行為は日常の中で減ってきた行為だと筆者は考えている。1990年代にパソコンが普及してから、「手書き」はキーボードによる「入力」、2000年代に携帯が普及してからはメールやSNSといったコミュニケーション様式が日常に加わり、2010年代にス…

三宅正太
2026.05.21
身体知と感覚はどう回復されうるか

犬が、目的なき歩行を人間に取り戻させる

医者から散歩を勧められた。散歩の習慣が無いので、犬を飼うと健康的になるのか?目的なく歩くことが想像できない。…

勝 眞一郎
2026.05.18
身体知と感覚はどう回復されうるか

座って考えることこそが、近代の発明だった

なぜ歩いていると考えがまとまるのか。座って考えるのとは、頭の中で何が違うのか。デカルトからウィリアム・ジェイムズ、近年の神経科学・都市計画まで、歩行と思考の関係はどう扱われてきたのか。一日の終わりに散歩で気持ちが落ち着く、あの感覚の正体を問いたい。…

メンバー

下記の問いは、まだ記事として公開されていません。「公開を依頼」を押すと、問い手の方に記事の公開依頼メッセージが送られます。

練習が技術を消す——透明化こそが習熟の証である
歩くは透明になり、走るは身体を取り戻す
感覚が近い人は、約束なしに同じ場所へ現れる
身体が先に変わり、心はあとからついてくる
瞑想は「脳を変える」のではなく、脳が「自分を見る目」を変える
鎧が厚くなるほど、世界は遠ざかる
書くことは、まだ歩いていない
過去は消えない、ただ眠っている
身体が先に、空間を知っている
五感は世界を受け取らず、世界を作っている
沈黙は、聴く準備が整った状態のことである
未来はまだ起きていない——だから「今」だけが実在する
デジタルが深化するほど、身体のマナーは希少言語になる
歩くたびに、自分だけの地図が描かれていく
「本当の自分」を探すのをやめたとき、自分は現れる
美しさは、所有するものではなく、なるものだ
手から生まれた贈り物が、制度の届かない絆を結ぶ
中途半端に聞こえないことが、世界を鮮明にした
GET OUTSIDE - 身体は、外に出るまで眠っている
視覚を失って、世界は広がった
腹が、先に知っていた
腸は、頭より先に知っていた
艶感って何だろう
AIが頭脳を奪うほど、身体は地方へ向かう
力を抜くほど、遠くまで歩ける
流れは、体系化を拒む
望望み

暗黙知はどこまで形式知になりうるか

2026.10.07
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

直観を説明した瞬間、色彩はデザインになる

以前書いた「色を選ぶ直観は、説明を求められて初めて知識になる」という問いから続けて考えると、アート思考に必要な共感力は、まず人と人が“心”でつながり、異なる価値観を探求し歩み寄るプロセスを生む。その過程で造形力や表現力が育まれ、五感が研ぎ澄まされていく。人の知覚の7割が視覚に依存…

Akiko Iwamura
2026.09.12
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

唾液が溶かすのは食物だけではなく、経験そのものだった

先日参加した会で、よく噛んで唾液を出して食べないと胃を通して小腸、大腸に負担がかかる、いかに唾液に食物を馴染ませるのが大事! という話を聴いたが、この咀嚼は、全ての事に通じるのではないか? 話をよく噛み砕くようにいう事があります。相手の話を噛み砕き咀嚼する事が大切だ。と これは身…

三原重央
2026.09.05
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

「何も残らない」は、語れない知識を見えない知識と混同している

これまで、いろいろなことに手を出してきた。 文章を書くこと。書道。ベース。ダンス。筋トレ。ストレッチ。メモ書き。音声配信。AI。Xでの発信。 どれも少しはやった。 中にはある程度続けたものもある。 けれど、「これが身についた」と胸を張って言えるものが、あまりないような気がしている…

藤澤 稔
2026.07.30
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

失敗だけが、知識を骨にする

澤谷由里子氏の「身体が先に知り、言葉が後から追う」の貴重な記事を踏まえ、 繋がせていただいた問い=「身体は言葉より先に正解を知っている」の次に 問いを立ててみたかったのは、なぜ?人は失敗体験を乗り超えた時の知識の方が 記憶に残りやすいのか?であった。特に、困難を乗り越えた時に得た…

Akiko Iwamura
2026.07.22
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

身体は言葉より先に正解を知っている

経験値による直感が正解であることが多い理由 「身体が先に知り、言葉が後から追う」澤谷由里子氏の記事閲覧からの問い…

メンバー
2026.07.15
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

複数の世界を生きる者だけが、複雑な場を動かせる

論理には限界がある。変わる・揺らぐ状況というのが世の常だからだ。論理や再現性を求め、属人化を排除するようなアプローチだけが、価値を生むわけではない。まして、異なる考え方の人が集まる組織やコミュニティではなおさら複雑だ。これからより変化が激しくなり、人の体験を突き詰めていくような社…

メンバー
2026.07.08
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

名前を忘れることは、相手を社会の地図から消すことだった

あ~・・ほら、あの人・・ん~・・顔は出てくるけど、名前思い出せないから検索できない、ほんま困る、私の頭の中は、いろんな人に会いすぎて飽和しているのだろうか? 最近では顔も思い出せない人もいる。ほんまなんでだろう? 私の頭の中にある人の顔をもとに、名前を検索できるAIってないだろう…

三原重央
2026.07.04
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

「なんか違う」は言葉にできるのか?──自分の taste は、人生を通して身体化された判断なのか?

「なんか違う」は言語以前の判定機構が発した裁決である 2026年7月4日 ・ 探求したいこと:自分の taste は言葉にできるのか。──「なんか違う」という感覚の正体とは何か。 わからない言葉は、重要な用語のタブを押すと意味が開きます(広い画面では右側「用語を確認」パネルからも…

澤谷由里子
NUCB Business School
2026.06.25
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

色を選ぶ直観は、説明を求められて初めて知識になる

これまで専門家としてデザインを構想する際、そのデザインに最適な色を選択するのは通常の業務であった。また、そうした業務内でデザインや色を想像する作業では、自然と頭の中で思考しつつ、最適解となる数パターンの組合せを瞬時に取捨選択できていた。その後、企業という場所から、起業という場に活…

岩村 明子
2026.06.20
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

翻訳者が、発見者の言葉を奪っていく

現代の知識社会においては、新たな発見や実践を生み出す能力そのものだけでなく、それらを既存の学術的・理論的枠組みの中へ位置づけ、解釈し直す能力が高く評価される傾向がある。 特に、実践の現場では、当事者が経験的な試行錯誤を通じて重要な知見に到達しているにもかかわらず、それらはしばしば…

吉田田タカシ(吉田隆志)
一般社団法人みちをつくる/アトリエe.f.t./立命館大学/DOBERMAN
2026.06.17
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

触れることが、知識を運んでいた

2026年の比叡山未来会議のテーマで、為末先生の身体知というキーワードで、肉体の存在する人間の存在意義の議論が深まった。 入山先生のクロージングでは、三大欲求の帰結として、次回テーマの提案がなされた。 ダイレクトな言葉を使うと、議論がブレるような気もするので、私はこれを「身体近接…

メンバー
2026.06.16
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

「憑依」は越境ではなく、関係的人間の本来の姿である

マーケティングの世界では、生活者の本音に迫り、本人も言語化できていない想いを洞察する、インサイトの把握が重要視されます。そのときに使われる言葉が「憑依」です。つまり、相手に乗り移ること。相手の気持ちになって、相手が行いそうなことを感じ取ることです。 でも、生育環境も家族関係、好み…

太田 恵理子
一般社団法人ワークフルネス
2026.06.13
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

保育者の身体性は、「閾値」によって分かれる

保育者の身体性はいくつかに分類される。出来事に対して反射的に介入する身体性。出来事に対する反応を一旦保留する身体性(介入するか見守るかを判断する間をもつ)。あるいは、まず共感する身体性(この子にはどんな背景があるかが見立ての入りぐに来る)。 目の前の子ども、出来事に対して、どんな…

石川 聖
Hoiku Studio
2026.06.13
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

「えいや」は理性の失敗ではなく、実践知の完成形である

この問いを聞いて、心に浮かんだ場面は何でしょうか。 データが揃うのを待った夜。AIの推奨に頷いた会議。最後は「えいや」で踏み切った瞬間。 拠り所は、人によって驚くほど違います。だからこそ、たとえば、こんな問いをぶつけてください。 どこまで調べたら決めていい? 分析しすぎをどう抜け…

gaoryu
ダイアログデザイン
2026.06.10
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

更新性の時代が、変化という幻想を終わらせる

よく変化することはいいことだと言われる。「変わったよね」と声をかけられることは、褒め言葉として使われることも多いが、実は小さな違和感を感じたりもする。 本人の中では考えが変わった(チェンジした)のではなく、更新(アップデートした)のだと。 そう考えると、実は変化するというキーワー…

松場 忠
石見銀山 群言堂
2026.06.08
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

身体が先に子どもを知っている

乳幼児期の子どもの表現、作品に日々出会う保育者の「語り直し(ナラティブ)」が職員文化を変える条件となり得るか。あるとすればその具体的な道筋を見出すことはできるのか。 表現や作品を通して、精一杯に「今」を生きる子どもと、私たち保育者が共に生活をつくる関係を築くヒントを探る。…

石川 聖
Hoiku Studio
2026.06.07
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

ミクロとマクロの間にある矛盾と葛藤

物事を解決にあたって俯瞰したマクロの見方と言うのは非常に重要だ。あらゆる事例から最大公約数を抽出しそれを1つのシステムと捉え、再現性のあるものとして取り扱う。そんな感覚であるメソッドを作り横展開していく。こうして広く一般に質の向上を目指すという考え方は政策を作るにあたって一般的だ…

山口 覚
津屋崎ブランチLLP
2026.06.06
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

腐敗と発酵は、同じ素材から始まる

「失敗からしか学ばない」は本当なのか? よく、「失敗からしか学ばない」と言われる事がありますが、どういう事なんだろうか? 少し精度を上げると、失敗から学ぶのではなく、失敗を失敗として認識した瞬間に学ぶという事かもしれないが、なら失敗を認識できるとはどういう事なんだろう? 失敗を失…

三原重央
2026.06.03
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

かたちは問いの答えではなく、問いそのものである

美とは何か。この問いは、単に「美しいものとは何か」を定義する問題ではなく、人は何を、どのように、なぜ美しいと判断するのかを問う問題である。カントは『判断力批判』において、美を「無関心的な満足」の対象とし、概念によらずに普遍的な快を与えるものとして論じた。ここで重要なのは、美の判断…

澤谷由里子
NUCB Business School
2026.06.01
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

可視化された誠は、誠を問い質す——AGI世紀の知識表現と徳倫理の衝突

Wikidata (Q100455577)プロトタイプを走らせるなか、AGI多次元世紀の「至誠通天」ナレッジグラフは解き明かされつつ。次元上昇の理を地域社会にどう落とし込むか、その貢献の要諦についてご指南いただければ嬉しく有り難く。問いを立てました。…

メンバー
2026.05.30
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

「知っている人」が、「できる人」を黙らせてはいないか?

お気に入りのプロスポーツの選手がスランプに陥っている姿を見て、僕らはそれを簡単に評論できる。「ああ、彼の調子のいい時は肘がもっと高い位置にあるのに下がっているのにな」「あそこで盗塁をするとは。何やってんだ。」 私たちは冷静に客観的にその欠点を見出すことができている気になっている。…

山口 覚
津屋崎ブランチLLP
2026.05.28
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

ファシリテーターは、道をつくらない。歩みが、道をつくる。

becoming。生成変化。人間は常に過渡期の人間である。サルトルは「実存は本質に先立つ」と言ったが、人間は、何かになっていくが、何者になっていくかは、予め決定されていない存在だ。私は、ファシリテーターを生業にしているが、会議におけるファシリテーションや、ワークショップにおけるフ…

古瀬正也
古瀬ワークショップデザイン事務所
2026.05.27
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

ファシリテーターは場の「外」に立てない——観察者と場が溶け合う瞬間の認識論

私のファシリテーションでは、物事の観察の仕方、受け取り方にパタン・ランゲージで有名なクリストファー・アレグザンダー氏が提唱した「ネイチャー・オブ・オーダー」の15の幾何学的特性が元になっていまる。 ファシリテーターが場を観るのには、各自のそれまでに学んできたことが色濃く出る。その…

高柳謙
2026.05.26
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

道具は、あなたを待っていない

学生の頃あんなに熱中した趣味が、モノはあるのに手をつける勇気?がだんだんなくなってくる。もしかすると、昔のように熱中できなくなっている自分を避けたいのかも?…

メンバー
2026.05.26
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

知らないことが、人間を人間たらしめる

近代の経営学と哲学はともに、「理性化・科学化・形式知化」を深化させることで発展してきた。しかしその過程で、人間の本来の姿——野性(wildness)という実相や本性——を遠ざけ、見ないようにしてきたのではないか。人間の価値観が見えることや知りえることに傾斜し、数値化できるデータや…

メンバー
2026.05.26
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

短期の震えが、長期の軸を育てる

最近、友人からリックルービンの創作術という本、リック・ルービンが関西弁で語るYouTube番組を知りました。その中でリックルービンは「他人がどう思うかは関係ない。自分自身に目を向け、自分がどう感じるかを重視すべきだ」と話しており、非常に共感しました。 ちょうど同時期に、永田希さん…

メンバー
2026.05.26
暗黙知はどこまで形式知になりうるか

音は発せられるのではなく、出会われる

私は、アコースティックギターと歌声で、20年以上ボサノヴァを弾き語り続けている。 私の周辺だけでなく音楽を嗜む人々の世界では楽器やツールに関する議論が尽きることは無い。「ギターの弦の巻き方はどういう巻き方が一番良いのか」、「このジャンルにはこのメーカーのマイクが合うぞ」、「歌うと…

冨永大祐

下記の問いは、まだ記事として公開されていません。「公開を依頼」を押すと、問い手の方に記事の公開依頼メッセージが送られます。

言葉が届かない場所で、技は伝わっていた
独りで稽古する身体は、それでも他者を宿している
影を統合した瞬間、花は咲き方を思い出す
遡るほど、未来は複数に枝分かれする
乱流は、私たちの言語が追いつけない秩序を流れている
美意識は、身体の記憶からしか育たない
「あれは何だったのか」と問う瞬間に、意味は生まれる
「考える」と「悩む」は、まったく別の認知行為だった
技術は、身体が先に知っている
言語化できない知は、語られるより先に失われる
葛葛藤

AIと人間性の境界はどこにあるのか

2026.08.22
AIと人間性の境界はどこにあるのか

「人間にしかできないこと」を問い続けるほど、人間は貧しくなる

AI時代に重要なのは、「人間にしかできないこと」を守ることではない。 AI・人間・組織構造を含む価値創造システム全体を再設計し、その中で人間が担うべき判断・関係・責任・創造の質を高め続けることである。…

菊地大翼
2026.07.06
AIと人間性の境界はどこにあるのか

スマホを解約する。そのことで何を失うかが、あなたが何に依存していたかを教える

ポケットベル、PHS、携帯電話、スマートフォン、と足掛け30年ほど何らかのモバイル端末を使っている。スマートフォンに至っては電話以外の機能も充実し、もはやなくてはならぬ存在。一方で、なんだか縛られているような気もして、携帯電話を機種変更したり、キャリアを移動したりするときには連絡…

松島靖朗
安養寺
2026.06.28
AIと人間性の境界はどこにあるのか

義肢は透明化するが、抗うつ薬は透明化しない

ALSの方がテクノロジーの力で動けるようにとか、寝たきりの方が少しでも動けるようにとか、さまざまな身体の欠損を補うためのテクノロジーは使い道としてあるが、精神の欠損を補うためのテクノロジーの存在は聞かない。それはなぜ?…

ちくわ
2026.06.18
AIと人間性の境界はどこにあるのか

AIは「見る」が、「読む」ことはできない

人間は、自身の経験に基づき、事実を解釈している。 例えば、人間は大きなスーツケースを運んでいる男性を見た時、「旅行へ行くのではないか」と思うのか、「大金を運んでいるのではないか」と思うのか、「死体を運んでいるのではないか」と思うのか。 人間は大きなスーツケースを見る前に、強盗のニ…

Masaki Nakasuga
2026.06.18
AIと人間性の境界はどこにあるのか

問いを立てられる者だけが、AIを道具にできる

AIのせいで、物事を考えるプロセスを外出しにできる時代になった。一方で、そもそも思考停止しているようなビジネスパーソンは多く、また視野が狭かったり、知識が浅かったり、狭い世界の中の話で世界をみてしまったりと、人のリテラシーはこのところ衰退し続けているとも感じている。AIがきても、…

出張 光高
WPP Japan/Landor
2026.06.08
AIと人間性の境界はどこにあるのか

ノイズを把握できる知性だけが、新しい価値を生む

人間の脳は無関係な情報が取り込むことを抑制するが、脳に強い負荷がかかった場合、無関係な情報が取り込まれることにより、今までと異なる価値を創出する場合がある一方で、AIは人間の脳のように無関係な情報を取り込むことにより、今までと異なる価値を創出できるのかを問いたい。…

Masaki Nakasuga
2026.06.04
AIと人間性の境界はどこにあるのか

身体は完成しない——進化とは、環境との絶え間ない個体化の過程である

人間の身体進化(変容)は、アウストラロピテクスの誕生から急速に進んだ社会・使用する技術の変容に置いて行かれているといわれる。狩猟採集を自然のいち動物として行っていた時代の身体は現代の社会生活に最適なものとはいえないだろう。現代人の病理(生活習慣病)や身体不調(腰痛、頭痛など)はそ…

長﨑徹眞
法林山長樂寺
2026.06.03
AIと人間性の境界はどこにあるのか

知性は、関係の中からしか生まれない

私は、AI・仏教・経済・学習・霊性を横断しながら、「人間とは何か」を問い続けている。 かつて木こりとして山に入り、森と格闘していた。そこで感じたのは、人間は世界を支配して生きているのではなく、巨大な関係性の中に“生かされている”という感覚だった。 その後、私は障害者支援の現場に関…

メンバー
2026.05.30
AIと人間性の境界はどこにあるのか

どうやって魔法を使うのか

アーサー・C・クラークが、十分に高度な科学技術は、魔法と区別できないと言いました。 現代のLLMも、生成AIに感情や主観がないとはいえ、ここまで高度に擬態ができると、まるで生命のような振る舞いをもちうることが予見できます。 そして今、LLMという高度な知能を手に入れたことで、人間…

中島洋一
編集者
2026.05.29
AIと人間性の境界はどこにあるのか

覚悟は知識から生まれない——古典がAIに奪えないもの

AIが色々な形で我々人間を包み込むこの21世紀、古典はこの時代にどこまで生かせるのか、どこが限界なのか。楽しむこと、働くこと、休むこと、生きることの色々な場面で、どこまでその場面を照らし、像を浮かび上がらせ、影を際立たせるものなのか。もちろんAIにも古典は読み込まれている。むしろ…

メンバー
2026.05.28
AIと人間性の境界はどこにあるのか

意味は最適化できない——デザインが判断力を取り戻す日

AI時代において、デザインの役割はどのように変わるのだろうか。これまでデザイン思考は、観察、共感、アイデア創出、プロトタイピングを通じて、複雑な問題を解決する方法として広がってきた。しかし生成AIの登場によって、分析、試作、改善、表現の多くは急速に自動化・高速化されつつある。だと…

澤谷由里子
NUCB Business School
2026.05.28
AIと人間性の境界はどこにあるのか

愛は、自己を壊すことで世界を繋ぎ直す

世界がAIや合理主義、相対主義の深化でより効率的でより個人的な方向へと向かう中でそれらに相対する他者との関わりであり自分という要素を変えてでも繋がりたいと思う、人間的な泥臭い愛という感情の理解と分析が現代社会の基盤の新たな一歩となるかまたは全く新たな社会への飛躍の中心要素になれる…

メンバー
2026.05.26
AIと人間性の境界はどこにあるのか

AIは命題を「内側から否定」できない

アウフヘーベンにおいて、命題に対して反対命題を機械的に抽出することにより、良い統合命題を導くことはできないと考えている。 これは、アウフヘーベンをフレーム的に捉えた場合、このフレームは万能であり、このフレームがあれば、AIであっても良い統合命題を導くことができると考えてしまうこと…

メンバー
2026.05.25
AIと人間性の境界はどこにあるのか

身体は、世界を先読みしている

生成AIは、インターネット上に蓄積された膨大な文字・画像データを学習することで、デジタル空間では人間を凌駕する知的能力を示し始めている。一方、フィジカルAI、特にロボットアームによるマニピュレーションは、物を掴む、運ぶ、盛り付けるといった物理空間での動作を対象にするため、同じよう…

小原武史
株式会社電通総研
2026.05.22
AIと人間性の境界はどこにあるのか

AIだけが、私の問いをそのまま受け取った

AIとの対話は心地よい。その理由はなぜかずっと考えていたが、それは人間と対話する中で見えてきた。AIは聞いたことだけ答えてくれる。人間は聞いたことに答えてくれないことも多く、なんなら聞かれていないことを延々と聞かされることも多い。問いの時代だ。延々と聞いてもいない答えを聞かされる…

松島靖朗
安養寺

下記の問いは、まだ記事として公開されていません。「公開を依頼」を押すと、問い手の方に記事の公開依頼メッセージが送られます。

「誰が書いたか」という問いが、すでに間違っている
力は、人を物に変え、AIは物を兵器に変える
雨に濡れるロボットが、都市の法律を書き換える
宇宙は、問うために人間を必要としない
人間はいつも、自分に似た神を作ってきた
身体は、完成しない
人類は、自らが生み出した存在に飼われていく
弱さが種を救った——ヒトは脆弱性を武器に進化した
作者なき祈りが、世界を変えはじめた
AIが情報を繋ぐ時代に、人間だけが文脈を翻訳できる
望望み

東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

2026.09.06
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

肩幅は正解ではなく、骨格が答えを持っていた

足を開く幅は、肩幅が良いとされているが何故なのか? 人によれば骨盤幅が良いというが何故なのか? 疲れにくいのか?安定しやすいのか?または肩幅や骨盤幅以外に適切な幅は有るのだろうか?…

三原重央
2026.08.04
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

習慣は、見えない布で身体を巻き続ける

「育てようとしない背中が育てる」という逆説はどういう事でしょうか? 学校制度や企業研修のような意図的な育成の場では何を意味するのでしょうか? 制度化された学習環境における非意図的モデリングの可能性と限界はどのような事があるのでしょうか? また、これらは「観念の纏足」といえるのでは…

三原重央
2026.07.17
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

隙は、人を招く構えである

受身とはなんだろうか? 武道だけとどまらず、私は人生には受け身が大切に感じるが、人生での受け身とはどのような事なのだろうか? そもそも受け身とは? 例えば、合氣道の受け身——これは私自身、28年稽古してきており、自分の身体が知っている領域ではあるが、一人一人違う感覚があるのではな…

三原重央
2026.07.08
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

島は、喪失を歌にかえる

サッカーW杯2026で活躍したカーボベルデについて教えてください。バスケも強いですが、日本と比較してどのような国土、国民の数、産業、GDPや各種指標、歴史などについて詳しく知りたいです。サッカー日本代表にインスパイアされてアルゼンチン戦も頑張れた、とGKの選手がコメントしています…

別府文隆
株式会社みちのとちう/WyL訪問看護ステーションよこはま北山田
2026.07.04
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

AIは、思考の『型』を静かに均す

LLMを使っていると、その設計の思想は、西洋哲学にあると思うことが多い。今後、もっと生活にAIが浸透をして行くことを考えると、知らず知らず、考え方の根底が西洋の概念になってしまうのではないか。人間が多様な考え方をもつことはさらに重要になる。そんないまだからこそ、東洋的な考え方、と…

傘さすお
2026.06.23
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

分離という神話が、西海岸で溶け出した

私たちが生きる現代社会は、西洋近代文明が生み出した科学技術や経済発展によって大きな恩恵を受けてきた。一方で、その発展を支えてきた「人間と自然を分離して捉える世界観」や、「効率性・成長を最優先する価値観」は、気候変動、生物多様性の損失、資源の枯渇、地域コミュニティの衰退など、さまざ…

西村仁志
環境共育事務所カラーズ
2026.06.05
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

日本の思想は、分断の時代に「無」から世界を再び編む

日本の思想は我が国独特の風土で培われた自然観とそれを支える日本的霊性(古神道)、さらには仏教や儒教などの東洋文化の要素が習合して、長い歴史を経て形成されてきた。これに、明治以降の洋学の視点も加わり、今日の日本人の生活観、社会観、世界観を支えるものとして、その人格の、基礎を形成して…

伊藤 憲祐
G.U.group
2026.06.04
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

身体は、社会より三十万年古い

現代社会では、寿命は延び続ける一方で、精神疾患や自殺や生活習慣病といった人類にとって新たな心身問題が発生しており、その拡大が継続しているように見える。 これは、猿人が誕生したのは約700万年前で、現代人と同じ「現生人類(ホモ・サピエンス)」の誕生は約30万年前。基本的に人体はこの…

メンバー
2026.06.03
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

創造性を高めようとするほど、創造は遠ざかっていく

創造性とは一体何であり、何のためのものなのか。西洋と東洋ではどのように捉え方が異なるのか。 西洋では、1950年以降、Creativityという言葉が使われながら、一部の天才に閉じられていた才能が、一般人でも強化しうるものとして意図的に喧伝されてきた。それらは、軍や企業の人材育成…

大貫冬斗
2026.05.25
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

見立ては、世界を二度生きさせる

最近、自分の経験と現実がマッチして、世界が爆速で広がっている感覚がある。 贈与論、動的平衡、ポリフォニー。 私がいま気になるワードたち。すべて繋がる感覚がる。 その中からの哲学的な問いに対して惹かれてしまう。 わたしにとって、哲学は相手に気持ちをつたえるためのコミュニケーションツ…

あゆ
2026.05.22
東洋の身体観は近代にどう翻訳されるか

生きることを、養う。

東洋医学は神仙思想が主軸となっており、それはまさに個人の幸福について思索をした老荘思想そのものであります。現在では疾病による身体の課題を解決する医学(コメディカル)として認識されていますが、実際には老荘思想による生き方の学びと、神仙思想による身体の養生の2軸によって心身一如で幸福…

中根 一
鍼灸Meridian烏丸

下記の問いは、まだ記事として公開されていません。「公開を依頼」を押すと、問い手の方に記事の公開依頼メッセージが送られます。

規律された身体が、例外的身体を生み出した
スポーツは、過程の美を語る言葉を持てなかった
礼は恐怖から生まれた——人類が新たな力を得るたびに繰り返してきた過ち
「私」は借り物であり、愛だけが返せないものである
排泄は、文明が隠蔽した最後の美学である
現現象

あわいと関係性はなぜ消失したのか

2026.07.19
あわいと関係性はなぜ消失したのか

「人間」は、関係が壊れるとき初めて意味を失う

蝉が鳴き始めて、ふと思った。 今年はホタルの話題が少なかったな。 あれ?梅雨の合間の明日は雨かもという曇りから晴れの間くらいの天気の夜にホタルが飛ぶんじゃなかったっけ。 そんな日が今年はあったかな?降れば土砂降り、水浸し、晴れたら溶ける、いや、焼けるように暑い。 来年は蝉、鳴くよ…

メンバー
2026.07.06
あわいと関係性はなぜ消失したのか

「ひとつの現実」という確信が、他者を消してきた

わたしたちが「現実」という表現を用いて主張するとき、「他の現実を認めない」という排他性を含んでいるのではないか。と思い書きました。私の現実と、他者・他の生物の現実とどう折り合いを付けられるのでしょうか。 事実は、過去のある時点に起きたことの記録です。しかし現実は、その記録を受け取…

Yusuke Matsuyama
2026.06.23
あわいと関係性はなぜ消失したのか

「私」は、関係が先に存在する

「個人」という概念が持ち込まれたのは近代である。西洋的世界観では、個人と社会は厳密に分けられており、哲学者は個人の意識にフォーカスを当ててきた。また、「計画」という概念も近年に持ち込まれた概念であるように思う。工業化社会において、生産できる商品、売れる商品数、そこから予測される売…

小笹 雄一郎
2026.06.16
あわいと関係性はなぜ消失したのか

見て見ぬふりと人間性

社会構築には大きな流れがある。その中で人々は一定期間を踏まえ、新しい習慣を形成していく。 一定のレベルに達すると慣性の法則が働き、不可逆となる価値観や行動様式が生まれる。 流れの中で生まれる素行の性質と現象。無意識的に見て見ぬふりをする中に、人間性を担保する大切なものがあるのでは…

メンバー
2026.06.14
あわいと関係性はなぜ消失したのか

境界は、外から引かれるのではなく内から生まれる

個人的に最近よく目にする「あいだ」「あわい」「境界」という言葉を詳しく整理したいと思って、独自に概念弁別表を作生したりしていた。 特に、境界は英語ではborder、boundaryでも意味が違うけれども、 包括的性教育の中で学んだ「バウンダリー」は自他分離境界線の大事さだったよう…

肥後 祐亮
Jumble Guild
2026.06.13
あわいと関係性はなぜ消失したのか

月の裏側にも、足跡は残っていた

こどもの頃の原体験が現在のモチベーションの源だと気づいたのは、いつだろうか? 様々な自身のめんどくさいところに蓋をして、それでも尚、こころの平和とつながりを、偶然の不思議な運と縁に導かれて、意味を発見する、惑星旅行。庭と冒険を探せ!とは、自分と他人、公共と個人、地球と宇宙、自然と…

メンバー
2026.06.05
あわいと関係性はなぜ消失したのか

目的を持つほど、世界が見えなくなる

日本の農耕民は、土地に縛られた農奴ではなく、土地と関係を結びながら歩く存在だった。だからこそ、日本的知性は、所有・支配・開発の知ではなく、地形・季節・共同体・神仏・他者との「あいだ」を身体で読み替える知として発達したのではないか。…

廣瀬理子
日本たばこ産業株式会社
2026.05.25
あわいと関係性はなぜ消失したのか

分断は、自分の中からはじまっていた

分断は、国、社会、地域、組織、家庭、個人の中にもある。自分とは別のものであるという認識をし、区別する、比較するところから、分断が始まってしまう。どう統合的、全体感を持って、異なる意見ともつものと融合していくのかが暮らしやすい世の中を生み出すために必要な考え方ではないか。…

有福英幸

下記の問いは、まだ記事として公開されていません。「公開を依頼」を押すと、問い手の方に記事の公開依頼メッセージが送られます。

関係性だけが、複製を拒む
「私」は関係の後に生まれる
分断が常識になる前に、人類は「あいだ」で生きていた
山の声を聴く力が、競争社会を溶かしていく
税理士と経営者のあいだに、何が宿るか
会計と経営のあわいに、何が宿るか
里山は、世界を分割せずに生きる方法を知っていた
現現象

認識と判断はどこまで拡張できるか

2026.06.08
認識と判断はどこまで拡張できるか

恐怖には対象があるが、不安は自由の重さである

不安の正体:人間は「本当の最悪」を想像できるのか 未知への恐怖と想像力の限界:人間が抱く不安の多くは、実は具体的な「最悪の事態」そのものよりも、「何が起こるか分からない(不確実性)」という状態に対して発生します。心理学的には、人間は過去の経験の延長線上でしか未来をシミュレーション…

林直樹
Handelshögskolan/ Stockholm School of Economics
2026.06.01
認識と判断はどこまで拡張できるか

記述は、現実を切り取るたびに現実を失う

私たちはふつう、時間と空間を世界の前提として考えている。時間が流れ、その中で物が存在し、空間の中を移動すると考える。 しかし、本当に最初に与えられているのは時間や空間なのだろうか。 私には、むしろ原初的に与えられているのは運動ではないかと思われる。 私たちは本来、未分節な運動のた…

メンバー
2026.05.25
認識と判断はどこまで拡張できるか

潜在性は眠っていない——発揮されない能力には必ず条件がある

人間にはポテンシャルがたくさんあるものの、発揮できる人とできない人、自分を理解している人、していない人がいると思っています。さらに発揮したあと、可能性を開花して、拡張していく方法がどうすればできるのかを知りたい…

Hitomi MARUO
2026.05.24
認識と判断はどこまで拡張できるか

「私たち」は、対話の中でしか生まれない

メタ認知とは、自分自身を客観的に認知する能力と言われています。 つまり、自分はどのように情報を得て、どのように感じ、どう考えて、このように行動したら、こういう結果になったと、自分で説明できることです。 この個人のメタ認知の考え方を組織に応用していくには、「私→あなた→私たち」と視…

今給黎 辰郎
個人事業主
2026.05.22
認識と判断はどこまで拡張できるか

「たまたま」が私を選んでいた——無意識の判断を取り戻す

人が何かを判断する瞬間、ほぼ無意識の時が多い。自分ですら言語化できず「たまたま」「何もなく」「いつも通り」で流れている気がする。自分のことすら分からない1人10色時代。このままで良いのか?スマホやバズ情報に乗っ取られて良いのか? 全ては「自分ゴト起点」 1人1人が「自分ゴト起点」…

仲正 礼
キューアンドエー株式会社
2026.05.21
認識と判断はどこまで拡張できるか

即興スピーチは、沈黙の技法を体に刻む

私は研修講師やファシリテーターとして仕事をしています。また、ファシリテーター養成や場を作るお手伝いしています。そのスキルの点にフォーカスをした場合、いかに無駄なく言語表現を状況に応じてできるかが鍵であると考えています。それは言い換えるといかに話さないで、やってほしいこと、考えてほ…

大嶋友秀
株式会社スピーキングエッセイ

下記の問いは、まだ記事として公開されていません。「公開を依頼」を押すと、問い手の方に記事の公開依頼メッセージが送られます。

感情は、脳が世界に仕掛ける予測である
乱流とは無秩序なのか、それとも私たちがまだ言語化できていない秩序なのか
← 7 テーマに戻る
Lv.2いま、自分の問いを書く