場所・共同体・ケア
誰の隣で、どんな空気のなかで生きていくのか。家族・地域・第三の場所・ケアの実践。私たちの「居場所」がどう形づくられ、どう壊れ、どう作り直されていくのかをめぐる問いたち。
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ケアと孤独のなかで居場所はどう生まれるか
バーンアウトが剥ぎ取るものが、生き直しの素材になる
バーンアウトから回復した医療者が「生き直し」の中で語る「意味の再定位」の経験を、中井久夫の回復論と現象学的面接研究を手がかりに丁寧に辿ります。消耗の果てに何が再び灯るのか、次の記事でその軌跡を深めます。複数の実際の事例をもとに、人がバーンアウトする際の本人要素や環境要素などの全体…
ケアする人は、ケアされないまま燃え尽きる
中井久夫をはじめ、医療者のバーンアウトからの離職のプロセスを理解するために、有用な先人たちの知恵を活用した論考をお願いします。バーンアウトはなぜ起こるのか、本人の気質や特性と相関はあるのか、どのような状況やプロセスや人間関係が重なると起きやすいのか、構造理解を深めつつ、再発予防、…
つながりは、人だけが運ぶのではなかった
毎日、畑に行ってタンカンを栽培しているおじいちゃん。「先生、畑にいるときが一番幸せや」、「だからひとりでも淋しいという気持ちになったことがない」という。ソーシャルキャピタルの世界では、人と人とのつながりが、人の幸せやウェルビーイングを増し、認知症を予防しているという。しかし。ここ…
時代の進化は、母の苦悩を埋められない
我が家は共働きで、3歳と1歳の子を幼稚園・保育園に預けている。 毎朝早く起きて、こどものお弁当作り、こどもの着替え準備、朝ごはんを作って食べさせて、自分の用意もままならないまま、家を出て2ヶ所へ送り届ける。帰宅後はすぐに仕事を開始し、仕事が終わればすぐに迎えに行き、帰宅後は就寝時…
たまたま隣にいた人が、一生の居場所をつくる
私たちの人生には、「私とあなた」という一対一の、代わりのきかない大切な出会いがあります。たまたま同じ場所に居合わせたり、偶発的に出会ったりした人たちとのつながりや居場所は、私たちの心をじんわりと温め、満たしてくれるかけがえのないものです。 しかし同時に、私たちは誰もが「自分の時間…
人間の身体は、孤独を痛みとして覚える
人間はなぜ他の人間を必要とするのか? 悲しい時に、なにも言わずに隣にいてくれる人がいると、ありがたい、と感じるのはなぜか? 科学的な理由があるのか、それはロボットやAIでも代替できるものなのかを問いたい…
名前を呼ぶたびに、世界は少しだけ変わっていた
自分が心のなかで他者をどう扱うかで、振る舞いもその先に広がる関係も変わると知った。 名前を呼んだ回数だけ、名前を呼ばれた回数だけ、その人との間にある結びつきが強くなるように感じる。 それは、ある意味で人間同士だけではなく、場や、モノや、動物にも当てはまるような。 関係の深まりには…
人はリミナルな場所で、はじめてつながる
スザンヌ・シマードのTedや「森に隠された「知性」をめぐる冒険」にあるように、木々は、土中に巡らせた自身の根と、土中の粘菌を使い、それぞれに足りないものを補いあったりコミュニケーションをしているという。地上では、一見、それぞれが独立して存在しているようで、つながり合い、生かし合っ…
止まった時間の中で、息子は育っていた
私はこの9年間、子どもたちの不登校と向き合ってきた。 最初は息子だった。中学生で学校に行けなくなり、支援も受けたがらなかった。親としてできることは限られ、状況が動かないまま時間だけが過ぎていく感覚があった。 数年後、今度は娘の不登校が始まった。娘は支援を受けながら少しずつ前に進ん…
装える自分こそが、最も深く凍りついている
病んでいる自覚があるうちはまだましなのかもしれない。自分のメンタルがそれなりに丈夫であることは分かっている(全然つぶれない)。死んだ心のままで表面上それなりに装うこともできる。だけれどもその状態が健全ではない、と立ち止まったときの処方を問う。…
喪失が、見えなかった絆を照らし出す
42歳ですい臓がんで亡くなった主人は 10歳12歳14歳の子供を残して亡くなった シングルマザー未亡人として、この15年過ごしてきたが、悲しみと苦しみより得たものは新しい役割であり、新しい人との出会い、思いもよらなかった人生の方向転換だった 人との関係性を俯瞰して、人生そのものを…
顔のない贈与が、助けを純粋にする
匿名で助け合う仕組みを運営しています。自助・公助・共助とさまざまな助け合いが求められますが、自助は自己責任にすり替えられ、公助は申請主義や条件付きで間に合っておらず、共助は顔が見える関係で支え合うどころが監視し合う社会です。 僕自身、自閉傾向があり、人との関わりが上手にできません…
回復は、元に戻ることをやめたときに始まる
私はここ数年、「回復」という現象に強い関心を持っている。 きっかけは自分自身の休職と復職だった。十分に休んだはずなのに元の状態には戻らず、しかし以前とは違う形で働き、生きられるようになった。この経験を通して、私は回復を「故障した機械を元に戻すこと」ではなく、「変化した自分とともに…
人は意味なしには生きられない——孤独が壊すものと、壊さないもの
Wellbeingの社会的処方の重要テーマに「つながり」があり、コミュニティの構築や形成というのが世界中で取り組まれようとしている。これに対し否定するつもりはない。実際、孤独死や孤立というのはつらいと予測できる。しかし一方で、第2次大戦後、フィリピンのジャングルの中で20年以上も…
悲しみが居場所を失った日、人間は何かを手放した
人の気分には波がある。元気な日もあれば、世界が灰色に沈む日もある。私の場合、メランコリックな気持ちは定期的にやってくる。明確な理由がある時もあれば、ない時もある。それは天気や四季の移ろいに近く、抗うものとも、恥じるものとも思っていなかった。 ただし、はっきりさせておきたい。ここで…
「身を引く」ことが、最も深い応答である
「問題は向き合うべき者、そして解決すべきもの」という近代的な感覚に対して、ネガティブ・ケイパビリティのような問いを問いのまま受け容れる姿勢があります。例えば同性婚の実現は真に求められるべきものですが、異性/同性にかかわらず「カップル」という枠組み自体に収まらない人が捨象されがちに…
語らない存在が、ケアする者を育てていた
次回は「言語を持たない存在とのケア関係」——重度障害者・認知症後期・新生児——という角度から同じ問いを深めます。語りなき存在が介護者に何を手渡すのか、この記事が開いた互恵回路をさらに先へと辿ります。神田橋先生の「精神科診断面接のコツ」という著作に、精神科の患者さんとうまく接するコ…
死にゆく者が、ケアする者を完成させる
「看取り経験が死生観を変える」という問いを、今度はケアを受ける側ー末期患者自身の語り一から反転させます。アーサー・クラインマンの病いの語り研究を起点に、「死にゆく者が介護者に何を手渡すか」という視点へと深めたい。ケアを受けるものはただ脆弱でただなすすべもなくなんの生産性もなくそこ…
与えることと受けることは同時に起きている——ケアの循環が社会を編み直す
人の健やかさと社会の豊かさを考えたときに、「ケア」が必要不可欠だと思う。人のしなやかな強さの根源は、ゆらぎがあることだと思う。心身が元気で力に満ちている状態も、心理的・身体的リソースが足りていない状態もあり、それが自然で、行き来しながら自分の生を生きている。独立して自立した個人で…
待つ時間が豊かなのは、相手の答えが決まっていないからだ
ひとを好きになることは、とっても傷つくことでもあるのに、好きになってしまうことは止められない メッセージの返事を待つ時間もたのしい、それはAIのシンキングタイムを待つ苦しさとまるでちがう 耳障りのよいことをいくらでも即時でくれるAIのことを好きになることはないのに とっても非合理…
人間は場所から召喚される
人間とは何か * 人間は本当に「主体」から始まる存在なのか。それとも「場所」から始まる存在なのか。 * 私たちは世界を認識しているのか、それとも世界に包まれているのか。 * 自己とは自律した存在なのか、それとも他者・土地・生き物との関係の中で立ち上がるものなのか。 * bios(…
ケアと看取りを時代に奪われた男性たちが、自身の死の準備体験も失っているわけ
江戸時代の武士が武士である父の看取りを担った実践と、現代の男性ケア不在の断絶を、日本近代史の制度変容として丁寧に辿る記事を書いてほしいです。社会の生産体制やゴールの設定が、男性に外に出て、女性に家の中を強いる構造が高度経済成長時代にあったのだと推測します。やむをえない時代だったと…
職場は、社会の最後の「共助インフラ」になれる。 ──新時代のウェルビーイング経営
孤独死や孤立、育児のワンオペ化など「地域における共助の欠如」は深刻ですが、忙しく働いている人たちが地縁の薄れた地域で中でゼロから新しい繋がりを作るのはとても困難だと感じています。一方で、人生の多くの時間を費やす仕事=「企業(組織)」に目を向けると、昨今「人的資本経営」や「ウェルビ…
聴き手がいなければ、記憶は完成しない
ある女性に、ライフヒストリーを聞いた。彼女は著名なデザイナーで、これまでも同様に人生の様々なことをインタビューされて、その都度答えてきたはずである。それでも、それなのに、とても嬉しそうに2時間話をしたあと、「また来てくださる?」と言った。満たされた表情に見えた。あれは、偶然のこと…
「助けて」は、受け取る側が先に場をつくる
人は困ったとき、必ずしも「助けて」と言えるわけではない。むしろ、言えない状況のほうが圧倒的に多い。孤独・孤立の現場で見えてくるのは、個人の性格や勇気の問題ではなく、関係の地図が壊れているという構造だ。誰に頼れるのか、どこまで踏み込ませていいのか、その判断がつかないとき、人は沈黙を…
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地域とコミュニティはどう再編されるか
帰属感は、滞在時間ではなく傷の深さで生まれる
ふるさとへの帰属感、その土地所有感はいつ、どのくらいの期間滞在したら生まれるのか。 私はとある地方都市出身であるが、学生時代を東京で過ごし、社会人になって地元に戻ってから何年も自分の地域に誇りを持つとか貴族意識を持つとかできないでいた。しかし、地元の県知事になる方は土地の出自では…
「日本すごい」という賞賛が、日本を標本にする
訪日外国人が増え、日本の文化、習慣、交通インフラや環境のすばらしさを口にしているのを、Youtubeなどでよく見かけます。中には日本の事を世界で一番とか、他の惑星のようだなど惜しみない賛辞を伝える内容もありました。戦後に高度成長期を経て、古来の日本らしさの多くは失われたとは思いま…
死者は、共同体の源泉へと還っていく
近代になって、未来とは「自分が死ぬまで」となった。近代以前の日本人の感覚には、未来とは「死後の未来」も含んでいた。自分が死んだ後、共に生きてきた共同体や、村や、村の人や、家族、友人たちが、死んだ自分とどのような関係を結ぶながら生きていくのか、そのことが気にかけられ、そのことが、人…
関わりが先で、地域への愛着は後からやってくる
地域づくりという言葉をよく聞くけれど、どのくらいの人が自分の町・地域・コミュニティに愛着を持っているのだろうか? 社会課題解決、地域づくりの文脈で関心ある人たちが動くのはもちろんん重要であると思うが、それはほんの一部の人たちであり、町を作っている大半の人は無関心のように見える。(…
集合的沸騰が止むとき、広場は駐車場に戻る
私たちはしばしば、公共空間とは誰でも利用できる場所のことだと考えがちです。しかし、制度的に公開されているだけでは、その場所は本当の意味で公共空間とは言えません。人びとがその場所に意味を感じ、自分たちにとって大切なものだと理解し、その価値を守りたいと思うとき、はじめて公共性は実質的…
育ちの記憶は、売れないのではなく、まだ翻訳されていない
10年、神戸市長田区に住み、様々な人の変容と育って行った企画を見てきました。 こどもだけでなく、大人も育っていくこの町の可能性を感じ、下町ぐらし研究所と名付けて3年。 とある人から、それって、リビングラボだと思うよ!と言われ本を読むと、まさにそうだと思いました。この価値をここから…
路地が、見知らぬ人を隣人に変えていた
今日、下町ぐらし研究所のメンバーとおしゃべりしていた時に、人情あふれ多文化共生が暮らしに根付いている神戸市長田区の下町の関係性・良さ・豊かさを体験をしていないと、なかなか言葉での説明が伝わらない、というもどかしさについて家族社会学者や研究者と話をしていました。 どうしたら、「下町…
コミュニティへの参加に伴う面倒くささは共助への呼び水でもある
民主主義を成り立たせようとすると、参加者は一定のめんどくさいことやわずらわしいことも参加コストとして引き受けなけばならない。私は島暮らしの中でそのように感じている。その感覚を仲間に共有するにはどんな手だてがあるのか?…
居心地のよさが、コミュニティを腐らせる
居心地良い場所に居続けると、だんだんその場所を守ろうとして、まだ砂上の知れない新しい人を受け入れないと言う現象がある。それが新しくコミュニティーに参入したい人を無駄に拒絶することになり、それがコミュニティーの衰退の原因ともなっている気がする。…
百貨店が消えると、街の時間が止まる
鹿児島で生まれ、十八年を過ごした。大学進学で故郷を離れてからの十八年は、大阪、東京、ソウルを渡り歩いて生きてきた。気づけば、人生の半分を鹿児島の外で過ごしている。 そんな折、鹿児島の百貨店・山形屋の経営が厳しい状況にあるという報道を目にした。不思議なことに、胸の奥がざわついた。も…
「親戚」は血ではなく、行為の累積によって生成される
愛知、新潟、佐渡、そして上海という、都市も地方も国境も異なる拠点で展開するコミュニティ「asobi基地」のメンバーと対話した中で確信したのは、どのような環境であっても、大人も子どもも「一人の人間」としてフラットに出会える安心感さえあれば、あらゆる壁を越えて自走するコミュニティが育…
コミュニティは、重なるほど息ができる
東京の都心から人口1000人未満の中山間地での暮らしに引越して悶々と考える。東京だからといってディープなコミュニティがないわけではない。祭りや地縁組織はあるし、ジェンダー格差については都市の方が圧倒的に解消されている。一方、中山間地域ではインフラ整備も含むディープなコミュニティが…
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死生観と実存はどう問い直されるか
回復とは、元の場所に戻ることではなく、世界に再び住み直すことだ
大抵の日本人が自分の死を迎えるにあたり、「準備ができていない」レベルが深刻であると考えている。それは、仏教の形骸化や信仰の薄さ、土着の祖霊信仰などの希薄化、男尊女卑からくるケアの担い手の女性(嫁)への押し付け、高度経済成長時代の必然としての、医療の社会化に伴う、「死が日常から奪わ…
火葬炉が、骨を聖遺物に変えた
いまは火葬率99.97%だが、火葬が急激に広まったのはここ50-60年のことだ 火葬の普及とともに、焼骨を遺すということが儀式として定着したが、その「骨」によってさまざまな問題がおこっているのではないか。 無縁墓問題、改装(墓じまい)、電車の荷棚にそのまま骨壺をおきざりにするケー…
人間だけが、生きながら「なぜ生きるか」を問う
人は生きるために働き、愛のために生き、他者のために生き、自分のために生きている。 人は何かのために生き、或いは目の前のことに追われて生きている。 人は絶望しても生き、希望のためにも生きている。 果たしてどうして人間は生きるのか?…
免罪符をやめたとき、はじめて存在が始まった
小さなころ、もし仮に死んだあとも意識が続くとしたら、それは宇宙の無限の広さと悠久の時に漂い続けるのかと想像し、終わりがないことへの恐怖を感じていた。 社会人になり、苦しいときに人生そのものに絶対的な意味を見出せるのかを西洋哲学に求めて、素人レベルながらに探求をした結果、存在しなそ…
生きているのに、いのちが感じられないのはなぜか—死・無常・関係的依存が教えてくれること—
いのち、いわゆるライフソース(源)を生きるために必要なことは、心理学や宗教などいろいろな切り口から研究されている。その本質は何で、何が違いを生む違いなのか?人が目を背けがちだけど、本当に大切な叡智は何なのか?…
日本人は、自然の中で死ぬことを知っていた
看取りについて考えることは、死生観について考えること。死生観について考えることは、信仰について考えること。信仰について考えることは、自然観・自然体験・自然との相対関係について考えること。杉下先生の論考を読んで思ったのは、日本人の在宅看取りを体験していくと、日本人の死生観と向き合う…
日本の地方は、逝き方を発見する場になれるか
60年代、70年代の欧米のミュージシャンやアーティストのあいだで、自分たちの国を離れた東洋のインドという国に、なにか創作のインスピレーションを与えてくれる秘密があるのではないか? という幻想が流布していたという。さて、2020年代、30年代の日本は、インド同様に他国の人から旅行・…
死を看取った男性は、死を恐れなくなる、のか。はて。
時代の流れとともに、男性の介護者が増えています。社会的にも、家庭内でも。それは子育てに男性が参画するのが当たり前になっていることとパラレルな現象のようにも見えます。これまでの高度経済成長時代の常識の残渣によっていた時代から、男性が看取りの場に戻ることで「死を恐れなくなる(かもしれ…
偶然を運命と呼び始めた瞬間、人は物語の作者になる
日々の生活には、嬉しい出来事や悲しい出来事が多々起きる。そして、それを人々は、それを「偶然」と捉える人もいれば、「運命」と捉える人もいる。偶然と捉えることで、その何千、何万分の1の確率に出会えたことを噛みしめることもできる。そして、反対に運命と捉えることで、その出来事が起きた必然…
他者の死に向き合うことが、はじめて自分の死を教える
「べっぷさん、僕はどうすればよかったのかね?」ビジネスで成功された高齢男性の言葉です。がんで余命4週間と診断された後に在宅看取りを選択され、訪問看護師としてご挨拶をした際に投げられた言葉です。「僕は準備する気があった、介護やがんについて学ぼうと思っていた。でもどこに行けば教えてく…
森は死を温かく包み込む
自然に死ねなくなって久しい。パンデミック、がん、生活習慣病、交通事故。死は自然なことなのに、自然ではない病院の中で死を迎え、あの人は○○で亡くなった、と死は社会的、医学的な意味で語られる。自然に中に暮らす人々は、どのように死をとらえ、死を迎えようとするのか。屋久島における自然観と…
死を語ると、生者の間に死者が座る
どうして死生観を語ると豊かな関係性が生まれるのか…
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都市と空間はどう設計され直すべきか
場所は記憶を忘れない——「非場所」だらけの都市で文脈不動産が問い直すもの
日本をはじめとする多くの国々が「成熟社会」と呼ばれるフェーズに突入した今、まちづくりや不動産開発に携わる人間にとって、従来の常識は揺らぎつつある。人口減少や地方都市の疲弊、空き家の増加、都市と農村のバランス崩壊、環境問題、そして地域文化の希薄化...。正直なところ、ただ大きな建物…
手放した瞬間に、都市は公共になる
人々が利害を超えて共有できる美しい公共空間は、どのような設計・経験・制度の相互作用によって生成されるのか。 近代都市は長らく、効率性、経済性、機能性を中心に設計されてきた。交通を円滑にし、商業活動を活性化し、土地利用の効率を高めることが都市計画や建築設計の主要な目的であった。しか…
ルールを与えられた市民は、ルールを作る市民にはなれないのか
公園や公民館のような公共施設は本来、市民県民の「みんなの場」であるはずの場だったはずだ。しかし制限禁止という名のもとに管理監督の力が高まり、いつのまにか誰のものでもない、誰にとっても使いにくい息苦しい空間に成り下がっていく。一人ひとりの活動の自由を高めることと、多様な活動が共存す…
死者の場所が、都市の時間を支えている
東山沿いを散歩していると、大谷祖廟や大谷本廟をはじめ、将軍塚や大小様々な死者の場所に出会う。こういった場所が都市においてどんな役割を担ってきたのか。また、死者の場所が担う未来の可能性について。…
誰も嘆かなかったから、いまだに、かっこ悪い橋が生産されている
橋のかっこよさを褒める人は、少なからずいらっしゃる。その人は、その話を語るとき、とても幸せそうだ。でも、その人の生活圏にかっこいい橋があるとは限らない。もし、その人の生活圏にたくさんのかっこいい橋があれば、その人は、今以上に幸せになれるのでは無いだろうか?それが、日本中の橋をかっ…
美学は建築を生き延びさせる――遊びの刻印が愛着の条件になる
美学のない建築、一般に人工物は意味をなすのか?建築は、建築家の美学や遊びによって強い個性を与えられ、人々の記憶に残り、愛着の対象となる。一方で、建築は長期にわたり社会の中に存在し続ける人工物であり、予算、制度、維持管理、公共性、利用者の多様な価値観を引き受けなければならない。ザハ…
どこで働くかが、何者であるかを形づくっていた
コワーキング、シェアオフィス、ワーケーション施設、自宅、オフィス、多様な働く場を選べるような時代になったが、AIが普及した今後の社会においてどのような働く場のあり方がありえるのか…
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個別の感受性と固有の体験はどう守られるか
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信仰と宗教は現代にどう再構成されるか
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