場所・共同体・ケア
誰の隣で、どんな空気のなかで生きていくのか。家族・地域・第三の場所・ケアの実践。私たちの「居場所」がどう形づくられ、どう壊れ、どう作り直されていくのかをめぐる問いたち。
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ケアと孤独のなかで居場所はどう生まれるか
死にゆく者が、ケアする者を完成させる
「看取り経験が死生観を変える」という問いを、今度はケアを受ける側ー末期患者自身の語り一から反転させます。アーサー・クラインマンの病いの語り研究を起点に、「死にゆく者が介護者に何を手渡すか」という視点へと深めたい。ケアを受けるものはただ脆弱でただなすすべもなくなんの生産性もなくそこ…
与えることと受けることは同時に起きている——ケアの循環が社会を編み直す
人の健やかさと社会の豊かさを考えたときに、「ケア」が必要不可欠だと思う。人のしなやかな強さの根源は、ゆらぎがあることだと思う。心身が元気で力に満ちている状態も、心理的・身体的リソースが足りていない状態もあり、それが自然で、行き来しながら自分の生を生きている。独立して自立した個人で…
待つ時間が豊かなのは、相手の答えが決まっていないからだ
ひとを好きになることは、とっても傷つくことでもあるのに、好きになってしまうことは止められない メッセージの返事を待つ時間もたのしい、それはAIのシンキングタイムを待つ苦しさとまるでちがう 耳障りのよいことをいくらでも即時でくれるAIのことを好きになることはないのに とっても非合理…
人間は場所から召喚される
人間とは何か * 人間は本当に「主体」から始まる存在なのか。それとも「場所」から始まる存在なのか。 * 私たちは世界を認識しているのか、それとも世界に包まれているのか。 * 自己とは自律した存在なのか、それとも他者・土地・生き物との関係の中で立ち上がるものなのか。 * bios(…
ケアと看取りを時代に奪われた男性たちが、自身の死の準備体験も失っているわけ
江戸時代の武士が武士である父の看取りを担った実践と、現代の男性ケア不在の断絶を、日本近代史の制度変容として丁寧に辿る記事を書いてほしいです。社会の生産体制やゴールの設定が、男性に外に出て、女性に家の中を強いる構造が高度経済成長時代にあったのだと推測します。やむをえない時代だったと…
職場は、社会の最後の「共助インフラ」になれる。 ──新時代のウェルビーイング経営
孤独死や孤立、育児のワンオペ化など「地域における共助の欠如」は深刻ですが、忙しく働いている人たちが地縁の薄れた地域で中でゼロから新しい繋がりを作るのはとても困難だと感じています。一方で、人生の多くの時間を費やす仕事=「企業(組織)」に目を向けると、昨今「人的資本経営」や「ウェルビ…
聴き手がいなければ、記憶は完成しない
ある女性に、ライフヒストリーを聞いた。彼女は著名なデザイナーで、これまでも同様に人生の様々なことをインタビューされて、その都度答えてきたはずである。それでも、それなのに、とても嬉しそうに2時間話をしたあと、「また来てくださる?」と言った。満たされた表情に見えた。あれは、偶然のこと…
「助けて」は、受け取る側が先に場をつくる
人は困ったとき、必ずしも「助けて」と言えるわけではない。むしろ、言えない状況のほうが圧倒的に多い。孤独・孤立の現場で見えてくるのは、個人の性格や勇気の問題ではなく、関係の地図が壊れているという構造だ。誰に頼れるのか、どこまで踏み込ませていいのか、その判断がつかないとき、人は沈黙を…
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地域とコミュニティはどう再編されるか
居心地のよさが、コミュニティを腐らせる
居心地良い場所に居続けると、だんだんその場所を守ろうとして、まだ砂上の知れない新しい人を受け入れないと言う現象がある。それが新しくコミュニティーに参入したい人を無駄に拒絶することになり、それがコミュニティーの衰退の原因ともなっている気がする。…
百貨店が消えると、街の時間が止まる
鹿児島で生まれ、十八年を過ごした。大学進学で故郷を離れてからの十八年は、大阪、東京、ソウルを渡り歩いて生きてきた。気づけば、人生の半分を鹿児島の外で過ごしている。 そんな折、鹿児島の百貨店・山形屋の経営が厳しい状況にあるという報道を目にした。不思議なことに、胸の奥がざわついた。も…
「親戚」は血ではなく、行為の累積によって生成される
愛知、新潟、佐渡、そして上海という、都市も地方も国境も異なる拠点で展開するコミュニティ「asobi基地」のメンバーと対話した中で確信したのは、どのような環境であっても、大人も子どもも「一人の人間」としてフラットに出会える安心感さえあれば、あらゆる壁を越えて自走するコミュニティが育…
コミュニティは、重なるほど息ができる
東京の都心から人口1000人未満の中山間地での暮らしに引越して悶々と考える。東京だからといってディープなコミュニティがないわけではない。祭りや地縁組織はあるし、ジェンダー格差については都市の方が圧倒的に解消されている。一方、中山間地域ではインフラ整備も含むディープなコミュニティが…
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死生観と実存はどう問い直されるか
日本人は、自然の中で死ぬことを知っていた
看取りについて考えることは、死生観について考えること。死生観について考えることは、信仰について考えること。信仰について考えることは、自然観・自然体験・自然との相対関係について考えること。杉下先生の論考を読んで思ったのは、日本人の在宅看取りを体験していくと、日本人の死生観と向き合う…
日本の地方だけが、死を問い直す場になれる
60年代、70年代の欧米のミュージシャンやアーティストのあいだで、自分たちの国を離れた東洋のインドという国に、なにか創作のインスピレーションを与えてくれる秘密があるのではないか? という幻想が流布していたという。さて、2020年代、30年代の日本は、インド同様に他国の人から旅行・…
死を看取った男性は、死を恐れなくなる、のか。はて。
時代の流れとともに、男性の介護者が増えています。社会的にも、家庭内でも。それは子育てに男性が参画するのが当たり前になっていることとパラレルな現象のようにも見えます。これまでの高度経済成長時代の常識の残渣によっていた時代から、男性が看取りの場に戻ることで「死を恐れなくなる(かもしれ…
偶然を運命と呼び始めた瞬間、人は物語の作者になる
日々の生活には、嬉しい出来事や悲しい出来事が多々起きる。そして、それを人々は、それを「偶然」と捉える人もいれば、「運命」と捉える人もいる。偶然と捉えることで、その何千、何万分の1の確率に出会えたことを噛みしめることもできる。そして、反対に運命と捉えることで、その出来事が起きた必然…
他者の死に向き合うことが、はじめて自分の死を教える
「べっぷさん、僕はどうすればよかったのかね?」ビジネスで成功された高齢男性の言葉です。がんで余命4週間と診断された後に在宅看取りを選択され、訪問看護師としてご挨拶をした際に投げられた言葉です。「僕は準備する気があった、介護やがんについて学ぼうと思っていた。でもどこに行けば教えてく…
森は死を温かく包み込む
自然に死ねなくなって久しい。パンデミック、がん、生活習慣病、交通事故。死は自然なことなのに、自然ではない病院の中で死を迎え、あの人は○○で亡くなった、と死は社会的、医学的な意味で語られる。自然に中に暮らす人々は、どのように死をとらえ、死を迎えようとするのか。屋久島における自然観と…
死を語ると、生者の間に死者が座る
どうして死生観を語ると豊かな関係性が生まれるのか…
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都市と空間はどう設計され直すべきか
誰も嘆かなかったから、いまだに、かっこ悪い橋が生産されている
橋のかっこよさを褒める人は、少なからずいらっしゃる。その人は、その話を語るとき、とても幸せそうだ。でも、その人の生活圏にかっこいい橋があるとは限らない。もし、その人の生活圏にたくさんのかっこいい橋があれば、その人は、今以上に幸せになれるのでは無いだろうか?それが、日本中の橋をかっ…
美学は建築を生き延びさせる――遊びの刻印が愛着の条件になる
美学のない建築、一般に人工物は意味をなすのか?建築は、建築家の美学や遊びによって強い個性を与えられ、人々の記憶に残り、愛着の対象となる。一方で、建築は長期にわたり社会の中に存在し続ける人工物であり、予算、制度、維持管理、公共性、利用者の多様な価値観を引き受けなければならない。ザハ…
どこで働くかが、何者であるかを形づくっていた
コワーキング、シェアオフィス、ワーケーション施設、自宅、オフィス、多様な働く場を選べるような時代になったが、AIが普及した今後の社会においてどのような働く場のあり方がありえるのか…
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個別の感受性と固有の体験はどう守られるか
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信仰と宗教は現代にどう再構成されるか
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